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骨隆起切除術が終わるまで暫く安静、といってもお口の安静ではあるが、出勤日数を半分に減らした。
すると普段は絶対にみれないテレビ番組がみれ、『Youは何しに日本へ』なんて番組もみれるわけで、若かりし頃のリュック背負ってひとり旅をしたことを思い出す。

今からざっと20年位も前のことだが、昨日のことのように、とはいかないまでもよく覚えている。
場所はネパール。
「どうしてネパール?」
とよく聞かれるのだが、インドとチベットの間にある国だったからというのが理由である。
昔も今も、死ぬまでに行っておきたい国はインドであり、なぜにインドかといえば、私は旅行記や海外もののテレビ番組をみるのが好きで、とりわけ楽しませてくれるのがインドなのである。
それに当時は瞑想やらチャクラがどうのこうのといった精神世界や悟りといった本もよく読んでおり、ま、20代だったから色々なことに悩んだり迷いがあったのであろうが、そちらの世界に少しばかりハマルと『瞑想=インドでしょ』てなイメージを勝手に作ってしまったということもある。

当時はまだパソコンは普及していず、頼りはガイドブックであった。
『地球の歩き方』のインド編を買ったものの、精神世界に興味があったとはいえインドで瞑想するなんてところまではハマっていず、いざとなるとインドのどこへ行っていいのかわからない。
特に行きたい所などないのである。
それにインドは大国だからしてガイドブックは分厚いし読むのも面倒になってきた。
「こんな重いガイドブックを持ち歩くのは嫌だ!インドは次の機会にしよう」
インドはあっさり断念した。

インドの次に行きたい国はチベットであった。
なぜチベットかというと、さすがに20年も前のことだから覚えていない。
私のことだから大方テレビでみたとか、深い理由はなかったはずだ。
『地球の歩き方』チベット編は持ち歩くには丁度いい厚さではあったが、ガイドブックを斜め読みする限り、チベットに行くには中国経由で入るのが一般的なようで、ホテルやレストランの名前は中国語が多く、ガイドブックの中には漢字が多い。
大学生の頃、私は中国語を選択していたのだが、これが滅法苦手で、中国語を見るだけでゾゾっとしてしまい、チベットのガイドブックは読む気がおこらない。
それに旅費が高いということもわかり、
「いつか機会があったら」
とこれも断念。

「さてどこへ行こうか」
購入したインドとチベットのガイドブックについていた地図を眺めていたら、両国の間にネパールという国を見つける。
恥ずかしながら当時私はネパールがどこに位置するのか、エベレストがある国がネパールだということすら知らなかった。
早速『地球の歩き方』ネパール編を買うと、インドとチベットの両方の文化が入り混じっているように思え、なによりガイドブックが読みやすく、持ち運ぶのにも丁度いい厚さ。
「面倒だから、ここでいいや」
行先が決まった。
丁度ネパール旅行のベストシーズンである10月だった。

旅行期間は2ヶ月ちょっと。
仕事を辞め、失業保険の申請をし、実際失業保険がおりるまでには3ヶ月ある。
通常その間は就活をしなければならず、1ヶ月に1度ハローワークへ足を運ぶようなのだが、当時は、もう忘れてしまったが、失業保険を貰ったのだから毎月ハローワークに顔出しする必要はなく、3ヶ月後だけ顔出し必須だったのだろう。
この失業保険を貰うまでの期間を利用して旅行に行くことにしたのだ。
これが今だったらやっきとなって職探しをするのだろうが、実家暮らしの若者(私のこと)はお気楽だった。

ひとりで行くことにしたのは、彼氏もいなければこんなに長い期間を付きってくれる友人もいず、もっとも女同士の旅行は長くても1週間が限界だと思っていた。
生活環境の違う者同士が長い期間狭い空間に一緒にいるとろくなことがない。
初めはいいが徐々に不穏な空気が流れ、旅行に行って絶縁になったという話はよく聞く。
それに「ひとりでないと意味がない」と、それまで読んでいた『ひとり貧乏旅行記』に大いに感化されていた。

今は運行していないが当時は関空から上海経由でネパールへ行くロイヤルネパール航空というのがあった。
これを使えば9時間ですんなりネパールへ行けたのだが、貧乏旅行記を読み過ぎていたせいか、「直行便を使うなんて邪道!バッグパッカーはタイ経由で行くべし」と信じて疑わなかった私は、成田からバンコクまでは一番安いパキスタン航空、タイで1泊し、翌日タイからネパールまではロイヤルネパール航空を使うことにした。
ついでに、やはり初めてのひとり旅に不安があったので、タイでの1泊、ネパールの空港出迎えとホテル2泊も日本の旅行会社で手配した。

            
パキスタン航空に搭乗した瞬間から外国であった。
海外旅行は初めてではなかったが、引率の人について歩けばいい旅行しか経験がなく、機内の隣席には友人がいた。
ところがこのパキスタン航空にひとりで乗ったら、右も左も前も後ろも、どこの国の方々なのかはわからぬが、見渡す限り外国人しかいず、日本人が見当たらない。
おまけにどこの国だかわからぬ方々はみんな知り合いなのかと思うほどよく喋り、よく席を立つ。
後でわかったのだが、よく席を立つのは機内の後方にある飲み物を取に行っていたのだ。
最初の1杯はフライトアテンダント(当時はスチュワーデスと呼んでいた)が配ったが、その後は「喉が渇いたなら勝手に取って勝手に飲んでくれ」といったセルフサービスだったのである。
そんなこととは知らなかった私は、喉が渇いてもひたすら我慢。

離陸して3時間位たつと、周囲の方々がゴソゴソと立ち始め、降りる準備をしていると私にもわかった。
タイまでは7時間位かかるとガイドブックに書いてあったし、航空券を手配した旅行会社の人もそう言っていた。
それなのに何故みな降りる準備をしているのか。
思い切って隣の女性に聞いてみることにした。
とはいえ何語を使うべきなのか、英語だってろくすっぽできない。
しかし聞かないことには胸のうちにある不安が消えないので英単語のみで「どこ?」と聞くと
「マニラ」
「え-------------------!マニラ??? なんで、なんで、マニラなの!」
心臓が口から飛び出しそうになった。
飛行機を乗り間違えたと思った。
「待てよ、待てよ。乗った所は成田であり日本だ。間違っていたのなら止めてくれるはずだ。でもマニラにいるわけで、マニラで降りて日本に引き返すべきか。待てよ、待てよ。マニラのどこで、何語で航空券を買うんだ」
自問自答をしているうちにマニラに着き、皆、続々と降りていく。
私はというとオロオロしながら、とりあえすフライトアテンダントに聞くことにした。
とはいえフライトアテンダントは外国人である。
「飛行機を乗り間違えたかもしれません。どうしたらいいでしょうか?」
と聞きたいところだったがそんな英語は出てこず、
「バンコク」
と航空券を突き出すと、あちらも、こいつ英語ができんのだなと察したらしく
「ネクスト」
と言い、私を座席に誘導した。

マニラを発つと私の周囲は空席だらけとなり、遠くにひとり座っているだけとなった。
シートの前のポケットに入っていたパンフレットを初めて手に取り、穴が開きそうなくらい眺めてみたら、どうやらこの飛行機はマニラ、バンコクを経由してパキスタンへ行くということがわかった。
考えてみればパキスタン航空であるからして、最終の行先は当然パキスタンなのだが、こんなことすら知らなかった私であり、先が思いやられた。

バンコクに到着したのは現地時間の夕方。
湿気を帯びたムワーッとした暑さだった。
当時のタイの国際空港はドンムアン空港で、日本で手配したホテルは空港に隣接しているアマリエアポートホテルだった。
私が希望したというより、私のような初心者はここがよかろう、ここしか考えられないぞ、といった感じで半ば自動的に旅行会社に決められたのだ。

出口にたむろしている客引きを振り切り、空港内をウロウロと歩き回り、上方に『アマリエアポートホテル』の看板を見つけた。
「あった、あった。隣接だもんね」
と思い、看板の下い行ったものの、そこにホテルの入り口もなければ案内表記もない。
どこか他に入り口があるのかと思い空港内をうろついてみたが看板が出ているのはそこだけ。
空港で働いていると思しきタイ人を3人捕まえ、「アマリエアポートホテルはどこ?」と聞いてみたが、返ってきた答えがタイ語なのか英語なのか、さっぱりわからない。
3人共私が見つけた看板を指さすだけ。
「それはわかっているんだって。そこから先なんだよ、わからんのは」
と心の中で叫ぶ。
約10キロのリュックが肩に食い込み、痛いは重いは暑いはで、早く下ろしたい。

タイ人なのか他の国の方なのかはわからないが、スーツ姿の男性を捕まえまた聞いてみた。
「アマリエアポートホテルはどこですか?」
看板の真下で聞くのもおかしなものだが、聞くしか手立てがない。
男性は上にある看板にチロッと視線をやり、私の乏しい英語力で何を言いたいのか察してくれた。
ついてきてといった身振りをし、エレベターに乗り、ながーい渡り廊下を歩き、エスカレーターを下るとエアポートホテルの受付に到着。
空港隣接のホテルに着くのに1時間かかったのだった。

喉がカラカラだった。
部屋の備え付け冷蔵庫には冷たい飲み物が沢山入っていた。
が、これに手を出せない。
バーツに両替していなかったし、ドルは持っていたが、チェックアウトの時に英語を使わなければならない。
わずか数時間で私はすっかり英語恐怖症になっていた。

バスルームに『Free』と書いてある水があった。
「フリーって、ただだよね。本当にただだよね」
何度も確認し、辞書までひき、その水で喉を潤した。
ぬるくてまずかった。

お腹はすていなかったが何か食べておいた方がよかろうとロビーに降りた。
レストランはあるのだが、食事をしているのは外国人、といってもここでは私も外国人なのだが、英語に困らなさそうな肌の色が白い人ばかり。
入るのが躊躇われた。
親切なスーツの男性が案内してくれた渡り廊下を歩き、エレベーターに乗り空港に戻る。
空港にある指をさすだけでいいファストフードのような店でパンとコーヒーだけをお腹に入れまた来た道を戻る。

部屋に戻ると何もすることがなかった。
今更勉強したところで遅いのだが、1冊だけ持ってきた英会話の本を開く。
正直日本に帰りたいと思った。
帰って、英語を勉強してから出直したいと思ったが、航空券の日にち変更をする英語力もなく、そんな英語力があるのなら帰る必要もない。
気持ちが高ぶっていたのかその日は一睡もできなかった。

翌日、早めにチェックアウトし、余裕を持ってロイヤルネパール航空の搭乗手続きをした。
免税店も見ず、余裕を持ちすぎたくらい早く搭乗口に着き待機。
搭乗時間が迫ってくると、何度もアナウンスがあり、どうやら番号を呼んでいる。
何の気なしに搭乗券を見たら、「ゲッ!もしや、さっきから呼ばれているのは私ではないか!」
空港税を払っていなかったのである。
いや、空港税を払うことは知っていたのだが、どこで払うのだろうと思いながら歩いているうちに、搭乗口に着いてしまったのだ。
その場で空港税を請求されるがバーツを持っていなかったのでドルで払う。
お釣りを持ってくると言ったきり制服を着たお姉さんはなかなか戻って来ず、最後と思われる人も搭乗し、私だけが椅子に座らせられている。
「ドント・ウォリー、ノープロブレム」
と何度も言われるが、私だけ置き去りにされるのではないかと不安でいっぱいだった。
ドルはないからと、お釣りはバーツで返ってきた。
心に余裕がなく、釣り銭を数えることもせず、バーツを財布に突っ込んだ。
最後に搭乗し、飛行機は40分遅れでバンコクを発った。
遅れたのは私のせいだったのだろうか。

ロイヤルネパール航空で隣の席だったのはバンコク在住の日本人男性だった。
彼は新聞記者で、エベレストで雪崩が起こり、犠牲者の中には日本人もいて、その取材に行くとのことだった。
「あなたも気をつけて」
と言われるが、エベレストに行くつもりはなかったので、私が雪崩に巻き込まれることはないと思われた。
後に母から日本でもこのニュースは大きく報道され、心配していたと聞かされたが、私の心配は次なる関門、ネパールでのビザ取得という小さなことだった。
ビザは日本でも取得できるがネパールの空港でも取得でき、ネパールで取得した方が安いので多くの旅行者が空港で取得する。

ネパールのトリブバン国際空港は小さく、独特のにおいがした。
けれどもをそれが何のにおいかはわからず、何のにおいなのか考えている余裕は私にはない。
丸いテーブルがいくつかあり、その上に紙が散乱している。
「ビザ申請用紙って、これ?」
周りを見るとみなパスポートを手にしこの紙に記入をはじめているので、このゴミのような扱いをされている紙がビザ申請用紙とわかったが、こういった用紙は箱の中にきちんと納まっていると思い込んでいた私には驚きであった。

用紙を一瞥しギョッとなる。
当然のことながら用紙にびっしり並んでいる文字はアルファベットである。
何が書いてあるのか全然わからない。
だがこの用紙を埋めなくてはならず、辞書を取り出すがわからない単語を全部辞書で調べていたら日が暮れてしまう、いや日が暮れてもできなさそうなのである。
英語圏或は旅慣れていると思しき方々はさっさと書き終え、ビザ申請カウンターは長蛇の列ができている。
途方に暮れている時、私よりも若いと思われる白人の可愛い女性に声をかけられる。
両替をしたいからバックを見ていて欲しいと言うので、私は快く引き受けた。
両替を終えた彼女に「申請用紙が書けなのよ。助けて」と身振り手振りで伝えると、彼女はサラサラとビザ申請用紙を書き上げてくれた。
ビザ申請は最後尾であり、2時間かかった。

出口に着いたところで「Youは何しにネパールへ?」とインタビューを受けることなど勿論なく、私を待っていたのはあどけない顔をした十代と思しき青年だった。
「遅かったですね。もう来ないのかと思いましたよ」
青年は流暢な日本語を話し、この青年が空港出迎えであった。

タクシーに乗り、日本から手配したホテルに向かう。
行きかう車は砂埃をあげ、綺麗な色の服を纏った女性、ぼんやり座っている男性、鶏もいれば犬も歩いており、のっそのっそと牛まで歩いているのが車窓から見えた。
なんだかこの国、好きだなと思った。

と、ここまで書いたもののこの続きを書くことができるのだろうか。
思えば沖縄旅行も沖縄に着いたまでは書いたもののほったらかしである。
ま、いいとしよう。

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