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退職までの道のり  12/30/2013  
過去を振り返り悔やむことを世の中ではどうもよくないこととされているが、人間だから後ろ向きの時だってあるし、後悔もする。
私の場合、もっと早く前職を辞めときゃよかったと、時すでに遅しではあるが後悔している。
かかりつけの心療内科の先生にも
「もっと早く辞めれば、ここに来ることもなかったのにねー」
と、いつも言われる。

途中まで書いてほったらかしになっていた前職のこと。
会社: とある事件が勃発し営業停止。一部の人、主に年齢の高い正社員の方は早期退職を提案され、職場を去った方もいたが、私のような下々の者にはそのような話はなかった。
「皆さん、大丈夫です。会社がすぐに倒産するようなことはありません」と女性部長が説明し、後で知ったのだが、この部長もこの時早期退職されていた。提示された金額がものすごくよかったらしい。
職場の雰囲気はがらりと変わった。
誰もがうっかりしてしまうような些細なミスに異常反応を示すようになり、重箱のすみを突っつくようにミス探しをし、みせしめまでするようになった。
正社員も私のような最下級のパートも、職場に見切りをつけた人達はどんどん会社を去る。

私 : 胃薬を呑む回数が増え、心臓がバクバクするようになる。
この時辞めていれば、その後体調不良に苦しむこともなかったと思われる。

会社: いつかは以前のようになるだろうと思っていたが、重箱のすみを突っつくようなことは終わるどころかますます悪化した。人数が減った為、それまで大きく3つに分かれていた部署がひとつに統合された。

私 : 社内を歩いている時、社外を歩いている時にも体に揺れを感じるようになる。眩暈のはじまりである。眩暈といっても色々あるが、私のは横に揺れるような、地震酔いしているような眩暈である。
内科に行きどこも悪くないと言われ、婦人科に行ったら更年期だと言われ、婦人科の薬が全く効かないのでメニエール病かもしれないと耳鼻科に行けと勧めらられ、耳鼻科を受診したがメニエールでもなければどっこも悪くないと言われ、精神的病だと思い近所の心療内科にかかったならば「仕事を楽しいと思え」と説教をされ、鍼灸にもかかってみたが効き目なし。
この時こそ辞め時だったのだが、体の悲鳴に目をそらしてしまった。
職場は悪くとも愚痴をこぼせる仲間がいたし、なにしろ生活がかかっている。

会社: 全く違う仕事をしていた他部署では派遣社員を切り、自然と人数も減ったらしく、私のいた部署に統合された。今にして思えば、かような会社の社内の雰囲気は悪い。
下々の者はいつ吊し上げをくうかとビクビクと震え、上司は怒ってばかり。
喜怒哀楽の『怒』しかないような環境だ。

私 : 今かかっている心療内科と出会いリーゼを処方される。心臓がひどくばくつく時はデパスを呑むようにと言われ、今では殆ど呑まなくなったデパスを2錠呑んだ時もあった。
依然体調はよくはなかったが、やっといい医者に出会えたということが安心であった。

この辺りまで以前小出しに書いたように思う。
その後、会社は本格的な人員削減に乗り出した。
入社して6年目、眩暈発症から1年半位たった時のことだったと記憶している。
その年の7月頃、年内で派遣社員全員と正社員の大幅人員削減をすることになりましたと部長から発表があった。
普通ならパートを切るところが、この会社は正社員を切り、人件費が安くてすむパートにこれまで正社員のしていた仕事をやらせようと考えたのである。
派遣の人達は次を探さねばならないので必死であった。
正社員は、上司のお気に入りと思しき一部の人達は残され、それ以外の人が切られ組だったのだが、通常よりもずっといい退職金と再就職支援サポートも受けられ、「ホックホク」と正社員切られ組は案外喜んでいのも事実。
皆、職場環境にうんざりしていたに違いない。

正社員が去る3ヶ月前、パートで『選抜チーム』なるものが作られた。
今まで正社員がしていた仕事をこなさせる為にまず第一弾として一部に教育をすることになったのだ。
そしてなんとその『選抜チーム』なるものに私が抜擢されてしまった。
メンバーはあんな環境でもやる気に満ちているそうそうたる人達ばかりで、体と精神を薬でなんとか支えている私には場違いだった。
「精神を病んでいるのではずしてくれ」
と上司に懇願したが
「ごめん、ごめん。大丈夫、大丈夫」
とはぐらかされた。面倒だから係りたくなかったのだ。
社内は3ヶ月後には職場を去り、新たな職を見つけねばならない人と、悪しき環境の中で耐える人が混じり、複雑な雰囲気で満ちていた。

その年の12月、派遣社員と沢山の正社員の方々が去っていた。
その中には、つい最近まで私の上司だった人もいたし、我々の前で大幅人員削減を発表した部長も去る人のひとりであった。
正社員を切るのだから、残ったとはいえパートもそう長くはないだろうと思った。
1月下旬に20日間の有給休暇が出ることになっていたので
「有休が出るまでは耐えよう」
というのが仲間同士の合言葉になり、私は重かった腰を少し持ち上げた。
転職活動用のスーツを買い、といってもユニクロのジャケットだが、最新の就職試験の本も買い、少しづつ勉強を始めた。

翌年1月、派遣社員と沢山の正社員がいなくなった職場は空席が増えた。
それまでもきつかったが、選抜チームの仕事は更にきつかった。
直属の上司は以前は冗談を言う面白い、部下にとっては「いい人」だったそうだが、とてもそんな人とは思えなかった。
神経質そうで笑顔がなく、上司にはペコペコし、私達には怒ってばかり。
「彼は変わった」
元々の彼を知っている人は皆そう言い、生き残る為には変わるしかなかったのだろう。

有休は出たものの長くいる会社を辞めるには勇気がいる。
なかなか踏み切れないまま3月になった。
そんな時、同期で私とたった二人だけ残っていた、行き帰りもいつも一緒だった会社で一番親しい人が
「もう嫌!私、辞めるわ。毎日心臓をギュっと捕まれている感じがして、もう限界!」
友人は一ヶ月後に退職することになった。

3月末だったであろうか。
職場のストレスがピークに達し、それとは別に考えることもあり、眠れない。
眩暈がひどく、会社に休みの電話をした。
「体調が悪いのでお休みさせて頂きます。それと…、申し訳ないのですが明日で辞めさせて下さい」
自分でもあっさり切り出したと思うが、御身の為に一旦ストレスを排除することにした。
「えっ!」
上司は絶句したっきり、言葉が出ないでいた。
「退職については明日ゆっくり話そう」
と終話。
生活は大丈夫なのか、本当に辞めていいのかとは言われたが、人員削減したい会社だからして突発退職は簡単に受理され、結果的に友人より数日早く退職したのだった。
勿論、残っていた1ヶ月分の有休はつけさせて頂いた。
風の噂で聞いたのだが、私が退職した1年後にパートも全員会社都合による解雇となったそうだ。

ストレスの根源であった会社を辞めても、眩暈はすぐにはなくならない。
医師によると、一度乱れてしまった自律神経はそう簡単にはない治らないそうだ。
運よくか悪くか、私はすぐに今の職場に受かった。
いつの間にか横揺れのひどい眩暈はなくなり、但し頭がボワンとするような、なんとも言い難い変な感じはあり、そんな時だけリーゼを服用している。
デパスは眠れない時だけ呑むので、殆ど手をつけることがなくなった。

堪え性がないのはよくないのかもしれないが、体がサインを出している時は無視してはならない。
大病ではないにせよ、眩暈により会社では辛いし、ストレス解消で出かけることもままならなくなった時期さえあり、体は資本であるとつくづく思う今日この頃。

そういえば今は年末であり、これが今年最後のブログになるに違い。
年末なのに、暗い話題になってしまったこともちょっと悔やむが今年は大掃除もしたし、ま、よしとしよう。

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