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夫の実家(二)  10/04/2017  
前回の昔話のつづきである。
手術をし、欲しい物も買った夫の妹が村へ帰ることになり、夫と私も同行することになった。
というより、当時23歳ではあったが、カトマンズでの妹は子供のようであった。
誰かと一緒でなければ市内を歩くこともできなければ、バスに乗って村へ帰ることもできないのだから。

実家のある村に行くにあたり、私が夫から聞いていたことは2点。
ひとつは、カトマンズからチャリコットまではバスで8時間かかり、チャリコットから実家までは歩いて6時間かかる。
もうひとつは、夫の父は過去に村長をしていたこともあり、夫の実家は村では一、二を争う金持ちということだ。
ついでに村で唯一トイレがある家だとも聞かされていた。

私達3人は午前8時頃のチャリコット行きのバスに乗った。
テレビ番組で見るアジアの田舎道を走るバスは、大抵「一体何年前のバスなんだ!」と思うくらい古く、道は悪路だ。
チャリコット行きのバスも御多分に漏れずオンボロバスがガタガタ道を走る。
何度もネパールを訪れていた私は、ボロバスとガタガタ道には驚くことはなかったが、気がかりだったのはトイレである。

話は少し変わるが、カトマンズからバスで7時間程の所にポカラという町がある。
アンナプルナトレッキングの入り口であり、そこに行く旅行者は多い。
ここを走るバスもボロバスなのだが、一応ツーリストバスとなっていて、2時間に1回、トイレ休憩がある。
そのトイレがどんなトイレかは機会があったら書こうと思うが、ポカラと違い、チャリコット行きのバスに外国人旅行者はいない。
11時頃、昼食休憩が1度あったが、その後、バスが止まる気配がない。
そして私はというと、トイレが近いときた。
「ねえ、このバス、トイレ休憩ないの?」
夫に聞くと、
「わからない。多分、そのうち止まるよ。」
と夫は言うが、多分では困るのである。
なぜって、今、まさにトイレに行きたいのだ。

そのうちバスが止まることを願って、1時間、トイレを我慢したが、もう限界。
「ねえ、トイレ、行きたいんだけど。もう我慢できないよ。」
夫に言うと、夫が運転手の所に行き何かを言い、ほどなくしてバスは止まった。
止まったはいいが、そこにトイレはない。
片側は崖、もう片側は野っぱらである。
私と夫だけがバスを降り
「さあ、どこでもトイレだ。好きな所でしろ。」
夫が言う。
ここで用を足さないと次はいつになるかわからない。
仕方なく野っぱらに腰を落とす。

バスは1時間遅れ、9時間かかってチャリコットに着いた。
ここから歩いて6時間なのだが、既に夕方である。
夜道を歩くのは危険だし、私には無理だと夫が言い、その日はチャリコットに宿泊することになった。
ベッド以外何もない簡素な宿である。

20年以上前のことだから、翌朝何時に起き、何時に歩き出したかは覚えていないが、私達のことだから7時過ぎに起き、ゆっくり朝食を食べ、8時過ぎに宿を出たに違いない。

まずはチャリコットの町中を歩く。
小さな店が沢山あり、田舎町と言えども賑やかだった。
そこで妹が砂糖、塩、油、あとチウラという乾燥した米を買う。
「ワタシの村にはなんでもある。買うのは砂糖と塩と油だけだ。」
と夫が解説する。

1時間程歩くと、店がなくなり民家だけとなり、民家もなくなると、石と岩だらけの急な下り道となった。
足元を見ながら、慎重に足を運ばないと転げ落ちそうなくらい急な道である。
そこを靴はスニーカーだがロングドレスの民族衣装を着た妹はピョンピョンと跳ねるように下り、あっという間に姿が見えなくなった。
カトマンズでオドオドしていた妹はチャリコットでは堂々としていた。
私はといえば何度も足を石にとられながら、
「あー、もう嫌!なんなんだよ、この道!」
文句しか出ない。

半日かかって、石と岩だらけの急な下り道を降りた。
降りた時、上を見上げ、
「今、降りたということは帰りはこの道を登るのか・・・。」
憂鬱になった。

下り道が終わると、平坦な道が続いた。
ずーっと先を歩いていた妹が男性と女性の若いカップルと一緒に私と夫が来るのを待っていた。
そのカップルは夫婦で、同じ村の人だという。
しかも女性は親戚であった。
色が白く、ヨーロッパ人のような顔だちをしており、とても我が夫や妹と同じ一族とは思えないほど綺麗な人だった。

この夫婦は各々大きなリュックを背負い、更に各々大きなバケツを頭に乗せ、バランスを取っていた。
バケツの中を見せてもらうと、インスタントラーメンがびっしり入っており、チャリコットに買い物行き、その帰りとのことだった。

途中小さな食事処のような店が1件あった。
そこで遅い昼食を取ることになった。
「ワタシの村には大きな川があり、魚が食べられる。」
事前に夫から聞かされており、確かに大きな川があり、私は魚を食べることを楽しみにしていた。
というのは、ネパールには海がなく、魚といえば川魚。
カトマンズに魚がないわけではないのだが、新鮮な魚はなかなか手に入らず、私は魚が食べたくてしょうがなかったのだ。

ところが、その日は魚が取れなかったらしく、あるのは味のないドーナツのような揚げたパンだけ。
ないものは仕方がない。
5人で揚げパンを食べる。

腹ごしらえをしたらまた歩き出す。
妹も早ければ、大荷物を持った夫婦も歩くのが早く、3人の姿はあっという間に視界から消えた。

歩き出して約8時間、午後5時頃、小さな店が5、6件ある所に着いた。
「やっと村に着いたんだね。」
私が喜ぶと
「まだだ。」
と夫。
「ここは私達の村から一番近い町です。私達の町はどうですか?」
と妹が言う。
どうと聞かれても答えが見つからない。
これが町ということは、これから行く村はどんな所なんだと不安しかない。

5、6件しかない店のうちのひとつに入り、今夜はここに泊まることになった。
店は米、砂糖、塩、ビール、石鹸等、日常品を置いおり、夫婦と十代と思しき女の子が2人いたと記憶している。
表は店、店の奥が店主家族の家であり、テーブルとベッドが何台かあった。
妹も親戚の若夫婦もこの店の人とは親しく、その親しさはまるで家族であった。
夕食はダルバートというネパール人が毎日のように食べている定食を食べ、私と夫と若夫婦の旦那さんはビールも飲んだ。
当時の私は今のように機能性胃腸症に苦しんではいず、何でも食べられ、お酒も飲めたのである。

ビールを飲むと、元々トイレの近い私は、一層トイレが近くなる。
トイレは外にあった。
日本で言えば和式トイレ。
ネパール人はトイレットペーパーを使わず、水で洗い流すので、便器の横に水の入ったバケツがあった。
部屋と外のトイレとの間にはドアがあり、鍵がかかるようになっていて、なんだか嫌な予感がした。

お腹も満たされ、村人達の会話も終わり、就寝時間になった。
部屋とトイレの間にあるドアが閉められ店主は鍵をかけた。
「え鍵かけたら、夜、トイレに行きたくなったらどうするのよ!」
毎度トイレの話題で申訳ないが、トイレの近い私はトイレのことばかり心配してしまう。

妹と若夫婦は店の人の家、つまり今食事をとった部屋の何台かのベッドで寝ることになり、夫と私はというと、店を出、店の横にある階段を上がり、簡素なベッドが2台あるだけの部屋に案内された。
私達を案内すると、店主は下へ降りて行き、店の扉を閉めた。

そして困ったことになった。
ビールがまわった体は、さっきトイレに行ったばかりだというのに、すぐに尿意を催す。
私達の部屋にトイレはなく、外にも勿論トイレはない。
「どうしよう。トイレに行きたいよ。」
夫に言うと
「ワタシも行きたい。」
と夫。
しかし店主を起こすわけにはいかない。

すると、
「水のボトルを出せ。」
と夫が言う。
私達は各々1.5ℓの水を持っていた。
夫は自分のペットボトルに残っていた水を私のペットボトルに移し、ひとつのボトルを空にした。
そして持っていたナイフでペットボトルの上方部分を切り、
「ほれ、これを使え。」
小さなおまるを作った。

今では夫になった男だが、この時はまだ夫ではなく、狭い室内でペットボトルおまるで用を足すのは恥ずかしい。
とはいえ、恥ずかしがっている場合ではない。
私も夫もペットボトルおまるで用を足し、夫はガラッと窓をあけると、あろうことか、おまるの中身を外に投げ捨てた。
「ちょ、ちょっと、そんな事していいの!」
私が驚くと
「真っ暗だし、こんな時間に歩いている人は誰もいないよ。朝に、おしっこの入ったこのボトルを持って下に行く方がよほど恥ずかしいよ。」

カトマンズでの朝の一杯は甘いミルクティーで始まるが、村はバター茶で始まる。
その頃よく読んでいた貧乏旅行記では、
「薄いスープのような感じで、味は悪くはない。」
と書かれていたが、このお茶をスープと感じた人の味覚がある意味羨ましい。
私にとっては油の浮いた、スープにしては全く塩気のない、つまり、すごくまずいお茶であった。
せっかく出してくれたのだから全部飲まないとわるいとは思ったが、どう頑張っても半分も飲めず、夫に飲んでもらった。
夫はという、夫もこのお茶は嫌いらしい。
しかし残してはわるいと思ったのであろう。
夫は一気に飲み干した。

店主は少しだけ英語が話せた。
ここから村まで何時間かかるのか聞いたら
「1時間くらい。いや2時間くらいかな。」
と言った。
この日、何時に出発したのかはやはり覚えていないが、恐らく8時過ぎであろう。

店を出ると、いきなり急な登り道であった。
辺りには木しかない。
1時間登り、2時間登る。
「まだ?」
夫に聞くと
「まだだ。」
妹と若夫婦は、前日同様、3人共かなり重い荷物を持っているというのにスタスタ行ってしまい、姿が見えない。

ふと時計を見たら、1時にならとうとしていた。
登り道は終わり、平坦な道になり、民家が見えてきて、先を歩いていた妹と若夫婦が私達を待っていた。
「着いたの?」
私が言うと
「まだ。」
と夫。
妹、若夫婦、夫はネパール語で何か話し、一件の民家に入る。
民家に入ると、妹と若夫婦と夫の前にどんぶりに入った茶褐色のどぶ水のようなものが出てきた。
「何これ?」
と聞くと
「酒。」
と夫。
日本で言えばどぶろくだと思う。
「ねえ、私にはないの?」
と言うと、
「アナタがこれを飲んだら、たちまち下痢になるよ。だからダメ!」

皆、空腹であり、ネパール人達は酒で腹を満たすことにしたのだ。
私はというと、水を飲むしかない。

酒を飲み終えたら、また出発である。
やがて民家はなくなり、田んぼ、畑、木だけの風景になった。
「あー、なんでこんな所に来ることになったのだろう。私だけカトマンズで留守番をしていればよかった。」
歩きながら何度もこう思った。

そして、午後4時頃、やっと夫の村に着いた。
1、2時間どころか、8時間近くかかり、トータルで15時間以上歩いたことになる。
私がいなければ、恐らく6時間で着いたのであろう。
村人の足と私の足は違うということがわかった。

それまで2泊3日程度の軽いトレッキングの経験は何度かあり、夫が日本に来てからは富士山にも登ったが、夫の実家が一番辛くキツイ道のりであった。

つづきは次回。


先週日曜は、2週に1度のラニ君の通院日でした。
ここ数ヵ月ラニ君は産卵防止の為のホルモン剤と点滴をしていたのですが、
「点滴は今回でやめてもいいように思います。」
と先生。
「インコの寿命は7、8年と前にお聞きしましたが、ネットを見ると10歳位の子もいるのですね。」
私が言うと、
「大体5~8歳なのですが、説明する時は7歳と言っています。10歳は・・・稀ですね。」
「この子、11月で5歳になるので、ということはあと少しってことになりますね。」
「このヒトが長生きできるかどうかは、水分をどれだけちゃんと取れるかにかかってきますね。」
「この子が水を飲んでいるところはたまにしか見ません。どうしたらいいのでしょう?」
と聞くと、
「見ることがないだけで飲んでいることは確かなんです。水分を取りたくなる漢方を出しますので、それを試してみて下さい。」
というわけで、ラニ君、漢方を飲むことになったのですが、水に溶かす薬なので、果たして飲んでくれているのか?

寿命が7歳ということは、ラニ君と一緒にいられるのはあとたった2年ということになります。
「そんなのイヤラニ君のいない生活なんて考えられない。」
と悲しくなる私ですが、いつかはお別れがくるのでしょう。
ラニ君が類まれな長寿インコになってくれることを祈るばかりです。


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カーテンによじ登るのも好きなラニ君です。
放鳥時はいつも一人遊びをしています。


IMG_20170924_115432.jpg
エアコンのすみに入って遊ぶのも好きです。
でもヒヤヒヤするので、ラニ君がエアコンの後ろに入ろうとする度に
「ラニ君、ダメー!」
つい声を荒げてしまう私です。

















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