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夫の実家(一)  09/23/2017  
『世界の村で発見!こんなところに日本人!』という番組を時々見る。
これを見る度に、もし私が夫(ネパール人)の実家に住んでいたら、もしかしたら取材されていたかもと思ったりする。
これから書くことは20年以上前のことで、まあ、昔話である。
暫くの間、昔話を綴りたいと思う。
が、私のことだから途中で飽きて中断することも大いにあり得る。


夫と私はネパールで知り合った。
私が旅行者、夫がトレッキングガイドで、まあ、よくある出会い方である。
その後、私は日本とネパールを、ビザが可能な限り行ったり来たり。
当時はまだパソコンが普及していなかったので、日本にいる間は週に1度の文通でやり取りをし、3年の交際期間を経て結婚をした。
こう書くと大恋愛のようだが、まあ、「大」がつくかは別として恋愛をしていたのだと思う。
オバサンになった今となっては「若いっていいなあ。」
と過去をなつかしむばかりだ。

トレッキングガイドをしていた夫はネパールの首都カトマンズに住んでいたのだが、実家はチャリコットという村である。
チャリコットがどこにあるかは、興味のある方はググッて頂ければと思うが、エベレスト方面にある。
チャリコットの実家では農業をしており、自給自足である。

夫の家族構成は、
父:チャリコットで農業をしている。現在も健在。
母:夫と共にチャリコットに住んでいたが、3年前、癌で亡くなった。
兄:妻と子供3人がおり、チャリコットで農業をしている。父とは同居してはいず、スープの冷めない距離に住んでいる。
姉:父の弟の子供らしく、本当のきょうだいではないのだが、幼い頃からきょうだいとして育っている。親の反対を押し切って結婚したらしく、同じ村でありながら遠くに住んでいるとのこと。子供は3人いる。
妹:夫より4歳年下。20数年前はチャリコットで両親の手伝い、すなわち農業をしていたが、結婚し、今は首都カトマンズに住んでいる。子供も2人いるそうだ。
弟:夫より10歳以上年下であり、私が出会った20数年前は高校生だった。村とカトマンズを行ったり来たりとブラブラしており、今はマレーシアに住んでいる。未だに独身だそうだ。

というわけで、我が夫は5人きょうだいの3番目であり、次男である。

私がネパールにいる時の住まいは夫の賃貸の部屋である。
そこへ父親と妹がチャリコットからやって来た。
当然ながらカトマンズに出てきた時の宿泊先は夫の部屋である。
外国人の私の存在に驚いたのかどうかは表情からは読み取れなかったが、父と妹は病院にかかる為に上京した。
父は胃の調子が悪いらしく、妹は舌が長いのか短いのかはわからないが、発音に支障をきたすらしく、それをなんとかしたいとのことだった。
ちなみ当時の私と夫との意思の疎通は、夫は職業柄英語が話せたが、私の英語ときたら英会話初級レベル。
程度の低い英語と夫の片言の日本語を交えての会話であった。
そして夫の父と妹とはというと、彼等はネパール語と彼等の民族の言葉しか話せない。

ここで脱線するが、ネパールは多民族国家であり、夫の民族名はここではお伝えできず、というのは夫の場合、民族名=苗字だからであり、仏教徒ということだけ書かせて頂く。

話は戻り、私のネパール語はというと今も昔も英語以下、正真正銘の片言である。
彼等とは専ら夫を介して会話をするしか方法がなかった。

まずは胃の不快を訴える父を病院へ連れて行くことになり、日本で言えば大学病院を受診する。
大学病院といえどもそこはネパール。
大きいだけで、物凄く汚い病院であった。
日本でも大学病院は待つのが当たり前だが、ネパールでの待ち時間は日本の比ではない。
朝一番に並んでチケットを貰うのだが、待てど暮らせど順番がまわってこない。
順番が回ってきたのが午後3時過ぎだ。

待っている間に、ちょっとした事、というより大事件が起こった。
父は病院にかかる為に村から日本円にすると2万円を持って来ていた。
村人からしたら大金である。
道中盗まれないように洋服の内側にポケットを作り、ご丁寧にポケットの口も全部縫い、いざお金を使う時にどうやって出すのだと私なんぞは思ったが、とにかく大事に持って来たのだ。
それが、縫い口だけが綺麗にカミソリで切られ、2万円が消えていた。
大学病院でスリにあったのだ!
ネパール人の父より日本人の私を狙う方がよほど金になると思うのだが、
「病院には村人を狙うスリが多いんだ。日本人のアナタより村人を狙う方が簡単なんだよ。村の人は何もわからないから。」
と夫は言い、当事者の父は綺麗に切られた服を見て「やられちゃったよー」という感じで笑うばかり。
まあ、笑うしかなかったのかもしれないが。

流石に20年以上前なので、病院に何回足を運んだかは忘れたが、父は胃カメラをし、恐らく胃炎か胃潰瘍だったのだろう。
薬を処方され、一番気がかりだった胃の病気は無事終了となった。

大学病院の次は歯医者である。
せっかくカトマンズに来たのだから悪いところは全部治しておこうという考えである。

ネパールの歯医者はわかりやすい。
カトマンズの中心地、アサンやインドラチョークという店が立ち並ぶ賑やかな所へ行くと、歯の絵がかかれた看板が沢山あり、何も知らない旅行者でも歯医者だと見当がつく。

まず治療を受けたのは父であり、夫、妹、私も一緒に診察室に入る。
20年以上前のことなので、日本のような歯を削る器具や麻酔があったかどうかは忘れたが、驚いたのは父が口をゆすいだ時である。
水の入ったペットボトルが渡され、それで口をゆすぐと、床に置いてあるバケツの中にペッと吐き出す。
そのバケツには父の前に診察を受けた人の吐き出したモノも入っており、いかにもネパールらしいのだが、初めて目の当たりにした私はあっけに取られてしまった。

父の次は妹である。
父と同様治療を受けたのはいいのだが、前歯の1本に金をかぶせたいと言い出す。
前歯が虫歯になっているのならともかく、どこも悪くない。
なんでも村ではニッと笑った時にピカッと光る金の前歯が女性の間で流行っているらしく、妹も村の流行りに乗りたかったのだ。

歯医者から出た妹の前歯は金で光っていた。
私の手鏡で何度も光るを金を見て、妹はご満悦のようであったが、当時23歳の妹は、私から見たら一気に20歳老けた感じがした。

歯医者が終わったところで、2人がカトマンズに来て2週間位たっていた。
治すところを全て治した父は暇を持て余し、「村に帰る。」と言い出した。
とはいえ、まだ妹の舌の病院もあるし、妹はひとりでバスに乗って村に帰ることができない。
それに妹はもう少しカトマンズにいたいと頑張る。
父は夫に妹を病院に連れて行き、村まで連れて帰ること、そして私も是非一緒に村に来てくれと言い、先に村へ帰ってしまったのだった。

次は、先に書いた妹の舌である。
これも、聞いた限り、別にわざわざ治療する必要はないのではないかと思うのだが、妹が「したい」というので仕方がない。
今度は大学病院ではなく、日本で言えば私立の総合病院へ行く。
ここでも当然ながら長時間待った。
その部位をなんというのかはわからないが、舌の裏側を少し切る手術をすることになった。
どんな手術なのかは手術室には入れないのでわからなかったが、手術は短かったと記憶している。
問題はその後である。
帰宅して数時間たち、麻酔が切れたのであろう。
「痛い、痛い」と妹が子供のように声を上げて泣き出した。
日本の病院であれば、痛み止めを処方するのが普通だが、ネパールの病院は先のことまで考えてくれない。
「自分でしたいといったのだから我慢しろ!」
夫は泣きじゃくる妹に怒るのだが、麻酔の切れた妹はあまりの痛さに我慢できず、ますます泣く。

妹を連れてタクシーで病院へ行く。
そして数日分の鎮痛剤を貰って帰宅。
やれやれである。

妹の術後の痛みは1日でひき、村へ帰る前に洋服を買いたいと言う。
妹の欲しい服は近所の店で売っているような服ではない。
彼女がいつも着ている民族衣装で、ボダナートという大きな仏塔のある観光地でしか売っていない。
私達はタクシーでボダナートへ行く。
そして色々な色の民族衣装がある店で、妹はどれを買うか迷いに迷い、
「どれがいい?」
兄である夫に聞くのだが、夫はそんなことにはまるで興味がない。
「好きなのを買えばいい。どれが好きなんだ?」
と言うだけ。
悩み迷い続けた妹は、最終的にエメラルドグリーンのドレスを購入。

洋服の次はバッグと靴も欲しいと言う。
またまたタクシーに乗り、今度はネパール庶民の買い物の場所であるアサン、インドラチョークへ行く。
バッグの店に入るが、ここでも妹は迷いに迷う。そして
「どれがいい?」
また兄である夫に聞く。
夫はというと、迷う妹にイライラしはじめていた。
「おまえは何でも遅い!もういい。帰る。」
と言い放つと、妹を私に押し付け、自分は先に帰ってしまう始末。

買い物に付き合うのはいいが、なにせ私と彼女は言葉が通じない。
私のつたない単語だけのネパール語と身振り手振りで、なんとか妹の欲しいものを聞き出し、バックと靴を購入。
そして帰りにタメル地区で2人でお茶を飲む。
タメル地区というのは各国の旅行者が集まる地区であり、ホテル・レストラン・土産物屋が軒を連ねており、独特な雰囲気が流れている。
カトマンズの庶民の場所でさえ一人で歩けない妹だからして、この地区の、特に白人の集団を見た時はかなり驚いていた。

さて、ここまで書いたら疲れてしまったので、続きは次回にしよう。
「夫の実家」なんてタイトルをつけたが、実家に着くのはまだまだ先である。



いつものように話は愛鳥ラニ君です。
しかし、今日はこれといって書くことがありません。
ラニ君は元気です。
おやつのあわ穂を食べ、おやつのクッキーも齧りつくし、イカの甲はぶっ飛ばし、
「早く出して、早く出して。」
と、さっきからせがむので、これからラニ君と遊びます。

あっ!ひとつ書くことがありました。
ラニ君は時々足を滑らし、よたついたりします。
それを見た夫はすかさずこう言います。
「インコの民族からダウンだ。」
と。

IMG_20170923_144806.jpg

IMG_20170923_144810.jpg
このようにケージの柵にへばりつくラニ君を初めて見た時は驚いたものです。
インコは嘴が発達しているので、ケージの柵をつたって移動したりします。
ラニ君の場合、かようにケージにへばりついた時は、「出して」の合図です。



















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