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末路・その1  04/13/2016  
父が亡くなった。

元々まめにブログを更新しない私ではあるが、先に記した理由により、ブログの更新どころではない日々が続いていた。

父に大腸癌が密かったのは約2年前。
大腸癌の兆候は・・・、よくわからない。
というのは、頑固で慢強く、家族との会話が少なく年がら年中怒っていた等々、父の性格が災いしている。
薄っすらわかっているのは、下痢が続いていたということだけだ。
それも1週間や1カ月ではなく、恐らく年単位だったと思われる。
自力で病院に行けず、車を出してくれと頑固者の父が母に言い、そして見つかったのが大腸癌。
既にステージ3であった。

手術をすることになったのだが、医者曰く、癌が大きく、またできている場所が悪い。
重要な臓器に密着してできてしまったらしく、まず抗がん剤でたたき、癌を可能な限り小さくしてから手術することになり、この時初めて医者の世界では『たたく』という表現をすることを知った。

抗がん剤にも色々あるが、父の場合、簡単に言えば点滴のようなものであった。
2日かけて体に入れる。
副作用は恐らくあったのだろうが、なにせ我慢強い人だったから、体調が悪いことは一切口にしない。
只、抗がん剤をすると持病のリウマチが悪化したり肺が悪くなったりし、ひどい時には起き上がることすらできなくなり、何度か救急車のお世話になった。

抗がん剤で癌は小さくなり、予定通り手術をした。
とりあえず手術は成功だったのだが、
「恐らく半年位で再発するでしょう。」
術後すぐに医師に宣告され、その通りとなった。
半年後に再発し、年齢的にも体力的にもすぐに手術をすることはできず、抗がん剤で様子見となった。
幸い転移はしていなかった。

初めの1年は入退院の繰り返しであった。
癌が悪くなったわけではなく、先に書いたように抗がん剤をすると持病のリウマチが悪化したり、肺が悪くなったである。

2年目は比較的穏やかであった。
とはいえ、1日の大半をベッドの上で過ごし、体調のいい時に短時間の散歩に出たり、短時間庭の草を取る程度。
元気な時の父とは雲泥の差であり、ヨロヨロしているという言葉がしっくりくる程、病人であった。
それでも抗がん剤の効果があり、癌は徐々に小さくなり、レントゲンを撮ってもわからない程になったのである。

父は癌に怯えていた。
逆に言えば、癌さえ治れば、自分はまだまだ長生きできると思っていた節がある。
けれども、癌でなくとも命取りになる病気は沢山あり、まさに父はそうであった。

2月半ば過ぎ、2日前に病院にかかったばかりだった時だった。
呼吸苦しいと病院にかかり、即入院となった。
病名は間質性肺炎、入院2週間と医師から言われた。
父の入院に慣れっこになっていた私達家族は「そうなんだ。また2週間か・・・」くらいにしか思わず、父自身もそう思ったに違いない。

ところが今回ばかりはいつもとは違ったのである。
今までは1週間たてば回復し、2週間で退院していたというのに、一向に回復の兆しがみられない。
「入院した時は片側の肺だけだったのですが、今、両方ともダメになっています。あらゆる薬は試しているのですが・・・覚悟しておいてください。苦しむようでしたら、モルヒネを使います。」
医師から説明を受ける。
「モルヒネ・・・。モルヒネを使い始めたら、どうなるのでしょうか?」
「1週間か、うーん、2週間・・・」
医師は言葉を濁した。

その日、父は見舞いに行った時から不機嫌で癇癪を起していた。
恐らく入院して2週間位たった頃で、最初の説明であれば退院していたはずなのである。
「こんな所にいたら殺される。あの若い女の医者は信用できない。家に帰る。」
母、妹、私は父の扱いに困り果て、家族が寛ぐ場所でボーっとしていたら、父が激しく咳きこむのが聞こえた。
慌てて病室に戻ると、父の咳きはますますひどくなり、
「苦しい、助けて、死ぬ」
喚き、暴れ、看護師5人がかりで押さえられ、大部屋から個室に移動となり、それからモルヒネが始まった。

肺炎とモルヒネについては、随分とネットで調べたものだが、情報が多すぎて何を信じていいのかわからず、一番良きアドバイスをしてくれたのは、私がかかっている心療内科の先生であった。
「余命ばかりはその人のあたわったものだから医師だってわからないけど、両方の肺がそんなになってしまっているのならば長くはないよ。いくら気持ちが強い人でも体は蘇らないから。」

父はモルヒネの効きが悪かったようだ。
初めの1週間は暴言を吐いたり暴れたりで、ベッドに抑制された。
抑制とは、暴れて酸素マスクや他の器具を外さないよう、ベッドにくくりつけられることで、可哀想ではあったが仕方ない。

モルヒネをはじめて2週間位たった頃だろうか。
ひとりで病室にいるのを父は嫌がったので、私が病院に泊まった。
元々口数の少ない人だったというのに、モルヒネの影響か、その日は穏やかで、またよく喋った。
一晩中、二人でお喋りをし、この日のことが私の『父の記憶』としてしっかり残っている。

モルヒネを始めたら、1、2週間と言われていたが、父は1カ月以上頑張った。
最後の1週間は意識がなくなり、そのまま静かに旅立った。

もっと早くに入院していれば、もしかしたら助かったかもしれない、いや、下痢が続いている時に、早めに病院にかかっていれば
、今頃大腸癌も完治し、肺炎になることもなかったかもしれない等々、色々と考えてしまうが、今となっては後の祭り。
これが父の運命だったのだろう。



父の見舞いに行きつつも、愛鳥ラニ君(セキセイインコ)の病院にもしっかり行っていた私。
なんといっても、今は
産卵の季節です。
ラニ君が卵を産んでは大変です。

最近ラニ君は押入れの衣装ケースの隙間に入って遊ぶことが好きなようです。
「ラニ君、どこ?どこにいるの?」
私はラニ君が隙間にいることは知っているのですが、大声でラニ君を呼びます。
すると、大慌てで隙間から出てくるラニ君。
その姿が可愛くて、可愛くて。
全く親馬鹿です。

IMG_20160221_191854.jpg
隙間に入ろうとしているラニ君。

IMG_20160221_191935.jpg
「ラニ君、どこ?」
と呼ぶと、大慌てで出てきます。
悪い遊びをしていると自覚しているのでしょうか?


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