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お別れ  09/07/2018  
取るに足らないことしか書いていないこのブログにいつもご訪問下さる方、ありがとうございます。
今日はご報告です。

9月6日23時40分、愛鳥ラニ君が天国へ旅立ちました


4日に入院をさせた私ですが、ラニ君のことが気になってしょうがなく、5日、仕事の合間に病院へ電話をしたところ
「非常によくないです。このヒトは神経質らしく、全然餌を食べません。体重も27グラムまで落ちています。」
と先生。
それを聞いたら、仕事はしましたが、いてもたってもいられず、仕事帰りに病院へ直行しました。

病院へ着くと、診察室に通され、病院のケージに入ったラニ君が連れて来られました。
私を見ると一目散に私の方に寄って来て
「早くここから出して。」
と言わんばかりに何度もジャンプをしました。
今にして思えば、最後の力を振り絞ったジャンプだったのでしょう。
健気な姿に胸が一杯になり
「先生、このまま連れて帰ります。」
「そうですね。このヒトは飼い主さんと一緒じゃないとダメなのでしょう。ここにいるより飼い主さんの所にいた方がいいでしょう。」

そして、昨日の6日、仕事を休むわけにはいかなかったので、ラニ君の様子見と通院を徒歩7分の所に住む母に託しました。
『ラニ君、餌とおやつ食べてるよ』
昼間の母のメールはこうだったのですが、
仕事を終え、帰りの電車の中でメールチェックをしたら
『ラニ君、体重また減って23グラム。今日明日が山みたい。ハチミツをうーんと薄めた水を嘴につけてあげて下さいと先生が言ってたよ。ハチミツは買ってあるから。』
急いで家に帰りました。

帰宅すると、先に帰宅していた夫(ネパール人)が
「ラニ君、もう力がないよ。」
ラニ君は起毛の毛布の上でベッタリと腰を落としていました。
夫が帰宅した時はケージの中に吊るしてあるブランコに乗っていたようですが、ケージから出した途端力がなくなったようでした。
大好きだった、我が家でラニ君の為に栽培しているあわ穂をあげると、少しついばみました。
しかし口は開いたままで、喉を通っていかず、あわ穂の粒は下に落ちるだけ。
食べたいという欲はあるのですが、体がついていかないのです。

私も夫も朝が早いので、10時には就寝します。
とはいえ、この時点で私は仕事は休むと決めていたのですが、2人でラニ君をどこに寝かせるか悩み、やはりいつも寝慣れているケージがよかろうと、夫がケージの中に毛布を敷きました。
しかし毛布の上はラニ君が落ち着かないようで、その昔買ったお椀型の藁で出来た巣を入れてみたのですが、安定の悪い巣からラニ君は落ちてしまい、自力で這い上がることができません。
止まり木に止まりたそうにしていたので、位置の調節のできる止まり木を一番低くし、その上にラニ君を乗せ、真下にタオルを敷きました。

暫く止まり木に止まってたラニ君でしたが、そのうち前後に体が揺れ始め、真下のタオルの上に落ちました。
鳥が死ぬことを「落鳥」と言うようですが、まさにそうです。

タオルの上でラニ君はずーっと横たえていました。
目はつぶり、私が「ラニ君」と呼びかけると小さくなってしまった目を少し開け、またつぶるの繰り返し。

そして、11時40分、タオルの上でラニ君は4回痙攣を起こし、動かなくなりました。
「ラニ君、一緒に沢山遊んだね。ママ、楽しかったよ。今までありがとう。」
私は動かなくなったラニ君を手の平に乗せ、ラニ君に向かって1時間程声をかけ続けました。
この時は涙は出ませんでした。
死んだということがすぐには受け入れられなかったのです。

そんな私に夫は
「アナタがラニ君、殺しました。ラニ君に注射ばかりするから。ラニ君、早死にしました。」
と言うのです。
というのは、ネパールにいる頃、夫はタイソンという名の犬を飼っていたのですが、ウィスキーを飲ませたり、犬にとってよくない物を飲み食いさせていたからだと私は思うのですが、タイソンはわずか8ヵ月で死んだのです。
「アナタがタイソン、殺しました。」
タイソンの話になる度に私が言っていたので、夫の逆襲なのでしょう。

朝、お世話になった先生にメールを送ると、ほどなくして先生から返信が来ました。
『そうでしたか。でも、最後、待っていてくれたのですね。この子は弱い子でした。でも、しっかりと愛情を受けてこられたので、これまで大きな事なく、生きて来られたのだと思います。そういった意味では、とても幸せな子だと思います。とても大切に愛されていましたから。ラニちゃんのご冥福をお祈りします。』
これを読み、初めて、私の目から大粒の涙が溢れました。
死んだラニ君の体をまた手の平に乗せ、
「もっと、もっと、一緒にいたかったよ。ラニ君、注射ばかりさせてごめんね。留守番ばかりでごめんね。ラニ君、辛かったよね。ママ、あと何年後か何十年後かわからないけど、ラニ君の所に行くからね。それまで待っていてね。」

ラニ君は実家の庭に埋葬しました。
実家の庭ではラニ君にあげる為に栽培したあわ穂が大きくなっていました。
箱にラニ君を入れ、ラニ君が大好きだったあわ穂と遊びかけだったカットルボーン(イカの甲)も入れ、ラニ君と同じ色の黄色の花を飾りました。

以前、かかりつけの先生に寿命を聞いたところ
「セキセイインコの寿命は6~8年で、その間をとって7年と私は言っています。」
と仰っていました。
ラニ君が10歳まで生きるとは思っていませんでしたし、いつかはお別れがくると思ってはいましたが、今年の11月で6歳になるラニ君でしたから、あと1、2年は一緒にいられると思っており、心の準備ができないまま逝ってしまったラニ君。
いや、これが1年先でも2年先でも、きっと心の準備なんてできないのでしょうね。

実家から我が家に帰ったら、「ラニ君、ママ、帰ったよ。」と、思わず言ってしまった私。
今までは、仕事に行く前は冷房のランプがついているのを確認し、「ラニ君、よし」と指さし確認し、雨戸を閉める時はラニ君が別の部屋にいることを確認してから、やっぱり「ラニ君、よし」と独り言を言ってから雨戸を閉め、台所で火を使う時はラニ君が台所に来ないように細心の注意をはらっていましたが、もうそんなことをする必要もなく、それがとてつもなく淋しく、悲しい私です。


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夫のチェーンで遊ぶラニ君。
この遊びも好きでした。


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ラニ君のお墓。
ラニ君が来て以来、私の一番好きな色は黄色になりました。






















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夫の実家(一)  09/23/2017  
『世界の村で発見!こんなところに日本人!』という番組を時々見る。
これを見る度に、もし私が夫(ネパール人)の実家に住んでいたら、もしかしたら取材されていたかもと思ったりする。
これから書くことは20年以上前のことで、まあ、昔話である。
暫くの間、昔話を綴りたいと思う。
が、私のことだから途中で飽きて中断することも大いにあり得る。


夫と私はネパールで知り合った。
私が旅行者、夫がトレッキングガイドで、まあ、よくある出会い方である。
その後、私は日本とネパールを、ビザが可能な限り行ったり来たり。
当時はまだパソコンが普及していなかったので、日本にいる間は週に1度の文通でやり取りをし、3年の交際期間を経て結婚をした。
こう書くと大恋愛のようだが、まあ、「大」がつくかは別として恋愛をしていたのだと思う。
オバサンになった今となっては「若いっていいなあ。」
と過去をなつかしむばかりだ。

トレッキングガイドをしていた夫はネパールの首都カトマンズに住んでいたのだが、実家はチャリコットという村である。
チャリコットがどこにあるかは、興味のある方はググッて頂ければと思うが、エベレスト方面にある。
チャリコットの実家では農業をしており、自給自足である。

夫の家族構成は、
父:チャリコットで農業をしている。現在も健在。
母:夫と共にチャリコットに住んでいたが、3年前、癌で亡くなった。
兄:妻と子供3人がおり、チャリコットで農業をしている。父とは同居してはいず、スープの冷めない距離に住んでいる。
姉:父の弟の子供らしく、本当のきょうだいではないのだが、幼い頃からきょうだいとして育っている。親の反対を押し切って結婚したらしく、同じ村でありながら遠くに住んでいるとのこと。子供は3人いる。
妹:夫より4歳年下。20数年前はチャリコットで両親の手伝い、すなわち農業をしていたが、結婚し、今は首都カトマンズに住んでいる。子供も2人いるそうだ。
弟:夫より10歳以上年下であり、私が出会った20数年前は高校生だった。村とカトマンズを行ったり来たりとブラブラしており、今はマレーシアに住んでいる。未だに独身だそうだ。

というわけで、我が夫は5人きょうだいの3番目であり、次男である。

私がネパールにいる時の住まいは夫の賃貸の部屋である。
そこへ父親と妹がチャリコットからやって来た。
当然ながらカトマンズに出てきた時の宿泊先は夫の部屋である。
外国人の私の存在に驚いたのかどうかは表情からは読み取れなかったが、父と妹は病院にかかる為に上京した。
父は胃の調子が悪いらしく、妹は舌が長いのか短いのかはわからないが、発音に支障をきたすらしく、それをなんとかしたいとのことだった。
ちなみ当時の私と夫との意思の疎通は、夫は職業柄英語が話せたが、私の英語ときたら英会話初級レベル。
程度の低い英語と夫の片言の日本語を交えての会話であった。
そして夫の父と妹とはというと、彼等はネパール語と彼等の民族の言葉しか話せない。

ここで脱線するが、ネパールは多民族国家であり、夫の民族名はここではお伝えできず、というのは夫の場合、民族名=苗字だからであり、仏教徒ということだけ書かせて頂く。

話は戻り、私のネパール語はというと今も昔も英語以下、正真正銘の片言である。
彼等とは専ら夫を介して会話をするしか方法がなかった。

まずは胃の不快を訴える父を病院へ連れて行くことになり、日本で言えば大学病院を受診する。
大学病院といえどもそこはネパール。
大きいだけで、物凄く汚い病院であった。
日本でも大学病院は待つのが当たり前だが、ネパールでの待ち時間は日本の比ではない。
朝一番に並んでチケットを貰うのだが、待てど暮らせど順番がまわってこない。
順番が回ってきたのが午後3時過ぎだ。

待っている間に、ちょっとした事、というより大事件が起こった。
父は病院にかかる為に村から日本円にすると2万円を持って来ていた。
村人からしたら大金である。
道中盗まれないように洋服の内側にポケットを作り、ご丁寧にポケットの口も全部縫い、いざお金を使う時にどうやって出すのだと私なんぞは思ったが、とにかく大事に持って来たのだ。
それが、縫い口だけが綺麗にカミソリで切られ、2万円が消えていた。
大学病院でスリにあったのだ!
ネパール人の父より日本人の私を狙う方がよほど金になると思うのだが、
「病院には村人を狙うスリが多いんだ。日本人のアナタより村人を狙う方が簡単なんだよ。村の人は何もわからないから。」
と夫は言い、当事者の父は綺麗に切られた服を見て「やられちゃったよー」という感じで笑うばかり。
まあ、笑うしかなかったのかもしれないが。

流石に20年以上前なので、病院に何回足を運んだかは忘れたが、父は胃カメラをし、恐らく胃炎か胃潰瘍だったのだろう。
薬を処方され、一番気がかりだった胃の病気は無事終了となった。

大学病院の次は歯医者である。
せっかくカトマンズに来たのだから悪いところは全部治しておこうという考えである。

ネパールの歯医者はわかりやすい。
カトマンズの中心地、アサンやインドラチョークという店が立ち並ぶ賑やかな所へ行くと、歯の絵がかかれた看板が沢山あり、何も知らない旅行者でも歯医者だと見当がつく。

まず治療を受けたのは父であり、夫、妹、私も一緒に診察室に入る。
20年以上前のことなので、日本のような歯を削る器具や麻酔があったかどうかは忘れたが、驚いたのは父が口をゆすいだ時である。
水の入ったペットボトルが渡され、それで口をゆすぐと、床に置いてあるバケツの中にペッと吐き出す。
そのバケツには父の前に診察を受けた人の吐き出したモノも入っており、いかにもネパールらしいのだが、初めて目の当たりにした私はあっけに取られてしまった。

父の次は妹である。
父と同様治療を受けたのはいいのだが、前歯の1本に金をかぶせたいと言い出す。
前歯が虫歯になっているのならともかく、どこも悪くない。
なんでも村ではニッと笑った時にピカッと光る金の前歯が女性の間で流行っているらしく、妹も村の流行りに乗りたかったのだ。

歯医者から出た妹の前歯は金で光っていた。
私の手鏡で何度も光るを金を見て、妹はご満悦のようであったが、当時23歳の妹は、私から見たら一気に20歳老けた感じがした。

歯医者が終わったところで、2人がカトマンズに来て2週間位たっていた。
治すところを全て治した父は暇を持て余し、「村に帰る。」と言い出した。
とはいえ、まだ妹の舌の病院もあるし、妹はひとりでバスに乗って村に帰ることができない。
それに妹はもう少しカトマンズにいたいと頑張る。
父は夫に妹を病院に連れて行き、村まで連れて帰ること、そして私も是非一緒に村に来てくれと言い、先に村へ帰ってしまったのだった。

次は、先に書いた妹の舌である。
これも、聞いた限り、別にわざわざ治療する必要はないのではないかと思うのだが、妹が「したい」というので仕方がない。
今度は大学病院ではなく、日本で言えば私立の総合病院へ行く。
ここでも当然ながら長時間待った。
その部位をなんというのかはわからないが、舌の裏側を少し切る手術をすることになった。
どんな手術なのかは手術室には入れないのでわからなかったが、手術は短かったと記憶している。
問題はその後である。
帰宅して数時間たち、麻酔が切れたのであろう。
「痛い、痛い」と妹が子供のように声を上げて泣き出した。
日本の病院であれば、痛み止めを処方するのが普通だが、ネパールの病院は先のことまで考えてくれない。
「自分でしたいといったのだから我慢しろ!」
夫は泣きじゃくる妹に怒るのだが、麻酔の切れた妹はあまりの痛さに我慢できず、ますます泣く。

妹を連れてタクシーで病院へ行く。
そして数日分の鎮痛剤を貰って帰宅。
やれやれである。

妹の術後の痛みは1日でひき、村へ帰る前に洋服を買いたいと言う。
妹の欲しい服は近所の店で売っているような服ではない。
彼女がいつも着ている民族衣装で、ボダナートという大きな仏塔のある観光地でしか売っていない。
私達はタクシーでボダナートへ行く。
そして色々な色の民族衣装がある店で、妹はどれを買うか迷いに迷い、
「どれがいい?」
兄である夫に聞くのだが、夫はそんなことにはまるで興味がない。
「好きなのを買えばいい。どれが好きなんだ?」
と言うだけ。
悩み迷い続けた妹は、最終的にエメラルドグリーンのドレスを購入。

洋服の次はバッグと靴も欲しいと言う。
またまたタクシーに乗り、今度はネパール庶民の買い物の場所であるアサン、インドラチョークへ行く。
バッグの店に入るが、ここでも妹は迷いに迷う。そして
「どれがいい?」
また兄である夫に聞く。
夫はというと、迷う妹にイライラしはじめていた。
「おまえは何でも遅い!もういい。帰る。」
と言い放つと、妹を私に押し付け、自分は先に帰ってしまう始末。

買い物に付き合うのはいいが、なにせ私と彼女は言葉が通じない。
私のつたない単語だけのネパール語と身振り手振りで、なんとか妹の欲しいものを聞き出し、バックと靴を購入。
そして帰りにタメル地区で2人でお茶を飲む。
タメル地区というのは各国の旅行者が集まる地区であり、ホテル・レストラン・土産物屋が軒を連ねており、独特な雰囲気が流れている。
カトマンズの庶民の場所でさえ一人で歩けない妹だからして、この地区の、特に白人の集団を見た時はかなり驚いていた。

さて、ここまで書いたら疲れてしまったので、続きは次回にしよう。
「夫の実家」なんてタイトルをつけたが、実家に着くのはまだまだ先である。



いつものように話は愛鳥ラニ君です。
しかし、今日はこれといって書くことがありません。
ラニ君は元気です。
おやつのあわ穂を食べ、おやつのクッキーも齧りつくし、イカの甲はぶっ飛ばし、
「早く出して、早く出して。」
と、さっきからせがむので、これからラニ君と遊びます。

あっ!ひとつ書くことがありました。
ラニ君は時々足を滑らし、よたついたりします。
それを見た夫はすかさずこう言います。
「インコの民族からダウンだ。」
と。

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このようにケージの柵にへばりつくラニ君を初めて見た時は驚いたものです。
インコは嘴が発達しているので、ケージの柵をつたって移動したりします。
ラニ君の場合、かようにケージにへばりついた時は、「出して」の合図です。



















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宝物の心配  05/04/2017  
まるで、前回のつづきのような話ですが、つづきではありません。

4月30日のことです。
その日は愛鳥ラニ君(セキセインコ)のホルモン注射の日でした。
いつものように朝一番にラニ君を自転車に乗せ、かかりつけ獣医さんの所へ行きました。
そしていつものように注射をし、
「この頃、この子が食卓から離れなくて・・・」
と私が言うと
「テフロンの話をしましたっけ?」
と先生。
「いえ、聞いていませんけど・・・」
「テフロン加工のフライパンがあるじゃないですか。あれ、このヒト達にとっては毒なんですよ。あれで炒め物をした時に出る煙をこのヒト達が吸うと死んでしまいます。よく家でたこ焼きパーティをして死んでしまったということもありますので、料理をする時は換気扇を強く回すか、一番いいのはこのヒト達を料理の場から遠ざけることですね。家の中にはこのヒト達にとって危険な物が沢山あるんですよ。」
先生と私はこんな会話を交わし、いつものように私とラニ君は自転車で帰宅しました。

帰宅すると起きたばかりの夫(ネパール人)が洗濯機を回しだしたところでした。
注射終えたラニ君を部屋に放し、私はジョギングに出、夫は洗濯をしました。

ジョギングが終わると、遅い朝食です。
パン、フルーツ入りヨーグルト、ゆで卵、コーヒーと、日曜の朝の食事はいつもこんな感じで、夫がこさえます。
これらが食卓に並ぶとラニ君がテーブルの上をチョコチョコとせわしなく歩きます。
隙あらば盗み取りをするのです。
「ラニ君、ダメー!」
何度大きな声を出すことか。
「ちょっと!食べてばかりいないで、ラニ君のこと、ちゃんと見張ってよ。」
食事に夢中な夫を叱咤する私です。

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人間が食事の時はラニ君も食事。いつでも3人一緒です。

食事が終わると、夫はパソコンを見たりスマホでゲームをしたりし、私はというと、ごろんと横になってテレビを見、ラニ君はというと部屋の中を自由に飛び回り、夫や私の肩に乗ったり頭に乗ったり。
各々が好きなように過ごします。

14時少し前のことでした。
「髪、切って来る。」
夫は出かけ、私とラニ君、二人っきりになりました。
ラニ君は、自分の扉が開けっ放しのケージに戻り、おやつのあわ穂を食べ餌も食べ、そしてパタパタと飛んで来て、私が日頃使っているパソコンの上に着地しました。

その後です。
ラニ君がパソコンの上で、パソコンに張りつくような姿勢で目を閉じているではありませんか。
「あらま。ラニ君、こんな所で寝ちゃった。」
こんなラニ君を見るのは初めてなので、私は写真を撮りました。

ひとしきり写真を撮ったものの、パソコンの上で目を閉じたまま微動だにしないラニ君。
「ラニ君、どうしたの?」
声をかけても、ラニ君は目と閉じたまま、動きません。
そーっと羽に触れてみましたが、チョロッと目を薄く開けただけで動きません。
未だかつてラニ君は放鳥時に居眠りをすることなどなく、羽を触らせてくれることなど皆無。
「これはおかしい!普通じゃない!」

私は慌てて、朝行って帰って来たばかりのかかりつけ獣医さんへ電話をしました。
「朝かかったばかりの○○ですが、様子がおかしんです。目を閉じたまま動かなくて、なんかベターとっ膨らんでいて、元気がなくて、なんだかいつもと様子が違うんです。」
動揺してしまい、支離滅裂な説明にはなりましたが、状態が悪いということは伝わったようです。
「午後の受付は16時からで、今、予約の方で一杯なのでお待ち頂くようになるかもしれませんが来てください。16時からですが、病院は15時40分位から開けますので、早く来てラニちゃんをお預かりすることもできますから。」

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目を固く閉じ、具合の悪いラニ君。

そうこうするうちに、頭をさっぱりさせた夫が、
「このスタイル、どう?」
ご機嫌で帰ってきました。
「大変だよ!ラニ君が元気ないよ。もう少ししたら、また病院に行くから。」
なおもパソコンの上に張り付くように横たわり目を閉じているラニ君を夫も見、
「本当だ!ラニ赤ちゃん、元気ないね。私も一緒に病院へ行く。」

病院が開くまでの1時間ちょっとが、すごく長く感じました。
1時間の間に死んでしまったらどうしようと心配で心配で、されとて見守ることしかできません。

15時40分丁度に病院へ行き、受付にラニ君を預けました。
午後の予約の人達も続々と来て、かなり待つのだろうなと思ったのですが、1番に呼ばれました。
恐らく配慮してくれたのでしょう。

「朝来た時と、全然違いますね。テフロンで料理をしたりしましたか?」
「いえ、テフロンではしていませんが、ゆで卵を作りました。」
「ゆで卵くらいなら問題ありません。元気はないのだけど・・・、この前の吐いている時とは様子が違いますね。うーん、原因が何なのか、わかりませんねー。」
先生は真剣な顔で仰り、
「今からこのヒトに点滴を打ちます。タウリン等が入った肝臓に効く粉薬を5日分出しますので、前と同じように水にといてあげて下さい。」
「先生、なかなか水を飲まないのですが・・・」
「その時は口に薬入りの水をつけて飲ませて下さい。それと、寝る時も前と同じように明るくして寝て下さい。明日朝、電話で様子を教えて下さい。」

帰宅すると、ラニ君は依然ぐったりしたまま、夫の襟付きのシャツと首の間に入り、うずくまりました。
羽に触ることを許さないラニ君が、こんな行動をとることも、勿論初めてのことです。
「ラニ君、寒いんだな。熱があるのかもしれない。」
夫はこう言い、ラニ君がくっついている間、じーっと動かずにいました。

私達は三人一緒に寝ています。
夜は、先生に言われた通り、明るくしたまま眠りました。
ちなみに何故明るくしたままかというと、いつでも餌を食べられる状態にしておくためだそうです。

翌朝、ラニ君は餌を食べ、薬入りの水を二口ほど飲み、前日よりは元気そうには見えましたが、いつもに比べれば元気がありません。
そして問題は仕事です。
ゴールデンウィーク中といえども私の休みはカレンダー通り。
本来であれば私は仕事に行かなくてはならなかったのですが、こんな状態のラニ君を置いて出勤するなど到底できません。
「なんて言おう・・・」
と考え、
「家族が病気なので休みます。」
会社に休む電話を入れました。
「だって、本当のことだもん。ラニ君は家族だもん。それもただの家族じゃないの。私にとっては世界で一番大切な宝物なんだから。」
とかなんとか、自分の中で会社を休んだ言い訳をし、そんな事よりもやはり心配なのはラニ君です。
病院が開いたと同時に電話を入れ、ラニ君の状態を報告すると
「餌を食べたのなら、もう少し様子を見て下さい。昼頃、また電話を下さい。」

「ラニ君、大丈夫なの?ラニ君が病気だとママ(私のこと)、心配で心配で、心配でしょうがないよ。ラニ君が口がきけたらいいのに・・・。ラニ君、元気になって。」
午前中はケージの中にいるラニ君に話しかけてばかり。

昼になり、また病院へ電話をしました。
「よくわからないのですが、朝とあまり変わらないような・・・。ただ、おやつのあわ穂を少し食べました。でもいつもに比べれば、元気はないです。」
と言うと、受付の人が先生に確認をし、
「一時的なものかもしれないからもう少し様子を見て下さい。それでもよくないようであれば、夕方、また電話を下さい。」

止まり木に止まっていて、餌もおやつも食べたのだから重症ではないとは思うのですが、いまひとつ回復しているのかどうかがわかりません。
そこで私は、我が家から徒歩1分の所にある大型量販店に行き、クッキーのようなセキセインコのおやつとカットルボーンを買いました。
カットルボーンとは、小鳥を飼っている人であれば知っているでしょうが、イカの甲羅を特殊加工したもので、ラニ君はこれを齧るのが好きです。

帰宅し、すぐにこの2つをラニ君に与えたところ、久しぶりのカットルボーンにラニ君は興味を示し、ガリガリと齧り始めました。
そしてピヨ、ピヨ、ピヨ、ジャージャージャっと鳴き始めました。
「あっ!元気になっているかも・・・」
人間も病気の時は話したくないものですが、それはインコも同じようです。
具合が悪い時は鳴きません。

それからラニ君は徐々に回復し、夕方にはいつもの、元気なラニ君に戻りました。

それにしても前回といい今回といい、ホルモン注射の後に具合が悪くなるというのが気になります。
ラニ君はもう3年以上定期的に注射を打っていますが、4歳を過ぎたラニ君の体に注射が負担になっているのではないか?
けれども注射を打たないと産卵をしてしまい、これまたラニ君の体には負担だろうし、と色々と考えてしまいます。
次に来院する時に先生に相談することにします。

話は少しそれますが、ラニ君を見守っている間、私は皇太子様が雅子様と結婚される時に仰った言葉を思い出しました。
「命をかけてお守りします。」
確かこう仰ったと記憶しています。
順番で行けばラニ君の方が私より先に天国へ行くことでしょう。
インコの寿命は人間よりうーんと短いので、ラニ君の寿命も順調にいって、あと3、4年でしょう。
それまで私は、それこそ命をかけてお守りしたく、いつも書いていますが、ラニ君は本当に私にとっては宝物なのです。

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大事な大事な宝物  03/31/2017  
2週間位前のことです。

隔週日曜は愛鳥ラニ君(セキセイインコ)の通院日です。
いつも書いておりますが、産卵防止の為にラニ君は2週に1度、ホルモン注射を打っています。
時間を有意義に使いたいので、ラニ君の病院はいつも朝一番に予約を入れています。

病院までは徒歩だと片道40分、自転車だと片道25分。
雨の日は徒歩で行きますが、晴れている日はラニ君のケージを袋に入れ、その上をバスタオルで覆い、自転車の籠に乗せて行きます。

家から病院までの間にラニ君はいつもケージの中でフンをします。
ところがその日、ラニ君はフンをせず、診察台の上に乗せ、ラニ君のお尻にフンがついているのを先生が見つけ
「うーん、ちょっと緩いような気もしますね。」
先生はラニ君のフンをティッシュで拭うと、いつものようにホルモン注射をしました。
「先生、人間の風邪がこの子にうつるということはありませんか?」
その日の1週間程前に夫(ネパール人)が寝込むほどのひどい風邪にかかり、
「ラニ君にうつったら大変!」
と思っていたので、このような質問を私は先生にしました。
「人間の風邪はこのヒト達にはうつりません。セキセイでもたまにオーム病を持っていることがあり、それが人間にうつるということはあります。」
こんな他愛もない会話を先生とし、自転車で帰宅。

病院から帰ったらラニ君は遊び時間です。
一日中餌も食べずに部屋の中を自由自在に飛び回るのがラニ君の日曜の過ごし方です。
ところがその日のラニ君は病院用のケージから出しても遊ばず、自分の家へ帰っていくではありませんか。
「ラニ君、遊ばないの?」
何度かラニ君に遊びを促しましたが、ラニ君は私の肩に乗るだけで、すぐに自分の家へUターン。
「いつもと違う。」
とは思いつつも、私はジョギングに出、夫(ネパール人)は洗濯をはじめました。

そして、午後、ケージの中のラニ君を見ていたら、目を閉じ、なんだかいつもと違うのです。
そのままラニ君を見ていると、急にパラパラと餌を吐き出し、人間で言えばオエッという素振りをするではありませんか。
「こりゃ、大変だ!」
私は慌てて今朝行って帰って来たばかりのかかりつけ病院に電話をし、大急ぎでラニ君を病院用ケージに入れ、また自転車をこいで病院へ行きました。

いつも笑顔の先生は厳しい顔をされ、ラニ君を診ました。
「フンが緩かったから『あれ?』とは思ったんですよね。今まで順調だったのに、来たかな?」
「先生、来たって、何が来たんですか?」
「この色のヒトは肝臓が悪くなりやすいんです。今、このヒトは吐き気があるんですね。ひとまず肝臓や胃炎に効く注射と吐き気止めの注射を打ちます。」
注射を2本打ち、ケージに移したラニ君を先生と二人でじーっと観察しました。
暫くすると、ラニ君は吐きました。
「心配しないで下さい。この注射を打つとすぐに吐くのが普通ですから。」
「先生、まさか死ぬことはないですよね?」
「明日の状態によります。明日も吐いていたら入院です。死ぬこともあります。」
「えそ、そんな・・・。死ぬなんて・・・。」
暫し私は茫然としてしまいました。
いつかは来るのでしょうが、ラニ君のいない生活は、今、考えられません。

1週間分の液体の胃炎・肝臓病に効く薬と吐き気止めが処方されました。
自転車で行ったのだから帰りも同じ道を自転車をこいで帰って来たのでしょうが、どこをどう走ったのか、覚えていません。
「ラニ君が死んじゃうかもしれない。どうしよう・・・。やだよーやだよー、ラニ君が死ぬなんて、やだよー。」
帰宅し、おろおろしながら夫にこう言うと
「大丈夫だよ。ラニ君は死なない。大丈夫だ。」
夫はこう言い、その日、我々二人はラニ君のケージから目が離せませんでした。

そして翌日、ラニ君は前日よりは元気でした。
外の野鳥が鳴くとラニ君も鳴き、前日の元気がない時のラニ君が全然鳴かなかったことに気づきました。

私は朝一番に病院へ電話をし、ラニ君の状態を説明し、ラニ君を病院へ連れて行きました。
「注射が効いたようですね。まだ吐き気はあるようなので、今日も注射を打ちましょう。薬を入れた水は飲んでいますか?」
「1回だけ口をつけたのはみたのですが・・・。そんな感じでも効くのでしょうか?先生、私も夫も仕事があるので、朝出たら帰宅するのは夜なんです。そんな環境にいるより入院して、完全によくなってから家に連れて帰った方がいいような気がするのですが、どうでしょう?」
「このヒトはうちで預かったことはありませんよね?」
「ないです。」
「このヒトは環境の変化に弱いと思いますよ。だいぶ顔が明るくなっているので、お家にいる方がこのヒトにとっては安心なはずです。家族のそばが一番安心なんですよ。」

その後、ラニ君は元気を取り戻しました。
よかった、よかったなのですが、ラニ君ももう4歳半。
人間で言えば中年です。
いつ何時大きな病気になってもおかしくありません。
ラニ君は私にとっては大事な大事な宝物。
1分1秒でも長生きしてほしいです。

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ジュースのストローが気になってしょうがないラニ君。

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あっ!
とうとう口をつけてしまいました。
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お守り  01/09/2017  
今年は病気や薬の話は書きたくないと思ったが、毎日欠かさずに飲んでいるのが薬であり、日々願っているのが「どうか吐き気が来ないように」であり、本当はもっと楽しいことを書きたいのだが、どうしてもこちらの方向の話になってしまう。

かなり前に書いたが、9年程前、私はひどい眩暈に悩まされた。
眩暈には3種類あるらしいが、私の眩暈は横揺れの、常に地震酔いしているような眩暈であった。
内科、婦人科、耳鼻科とかかり、検査ではどこも悪くなく、行きついた先は心療内科。
ストレスによるものだと診断され精神安定剤のリーゼが処方された。

リーゼはよく効いた。
だからと言って眩暈がすぐに治ったわけではない。
横揺れの眩暈は長年かかっていつの間にかなくなり、しかしながら頭がクラクラするような、口では表現し難い妙な症状だけが残り、こう書くとたいしたことないように思われるだろうが、この妙な感じが実に辛い。
心療内科の医師に相談はしたのだが、たいしたことではないと思われたのか、いつもスルーされ、私はというと、リーゼを飲むと頭のクラクラが取れるものだから昨年の秋までリーゼを飲み続けていた。

そして昨年夏から秋にかけて、いつも書いているがFDこと機能性胃腸症が悪くなり、それまで何年もかかっていた近所の中規模程度の消化器内科に見切りをつけ、隣駅の大きな病院の消化器内科に、つまり病院と医者を変えたのだ。
とはいえ、検査をしてもどこも悪くなく、こういう患者には出す薬はないと医師も困り顔。
恐らくそうなるだろうと予測がついたので、
「ジプレキサを試したい。」
自分から切り出した。
ジプレキサとは機能性胃腸症コミュニティの方から「吐き気に効く」と教わった薬である。

ジプレキサは消化器内科では出せない薬であり、試したいのであれば精神科へと言われ、同病院の精神科にまわされ、となるとこれまで8年間かかっていた心療内科は行く必要がない。
お世話になった先生には申し訳ないが、勝手に行くのをやめることにした。

精神科でジプレキサが処方され、1カ月半止まらなかったFDの症状である吐き気は止まった。
そして、ついでのように、これこれしかじかと心療内科にかかることになった経緯を話し、
「先生、頭がクラクラするというか、口で表現するのは難しいのですが、妙な感じがするのです。これは一体全体、なんなのでしょう?」
今の主治医となった女性の医師に聞いてみると、先生は一瞬間考え
「それは、多分、リーゼの離脱症状だと思います。前にも同じことを言う患者さんがいて、リーゼって、一番軽い安定剤だから安心して使える薬だから私も知らなかったのだけど、患者さんに言われて初めて知ったんですよ。」
「離脱症状・・・。どうしたら、このクラクラは取れるのですか?」
「リーゼをやめれば、すぐにではないけど、自然と、気がついた時にはなくなっています。でも、今まで8年も飲んでいた薬を止めるのは怖いだろうから、リーゼのかわりにメイラックスという薬を出します。」

メイラックスならば以前にも飲んだことがある。
FDこと機能性胃腸症が悪化し、近所の中規模程度の消化器内科の医師が心療内科の医師に相談してと丸投げした時に、心療内科で出されたのだ。
リーゼは飲んで30分もすると効き目が実感できるが、メイラックスは全く効き目か感じられない。
それを今の医師に言ったところ
「だからいいんです。メイラックスは1錠で長い時間効くから穏やかな効き目なの。リーゼは短時間しか効かないから効き目は感じられるけど効き目がなくなるのも早いの。効かなくなったらまた飲んでしまうから、結果的に薬を沢山飲んでしまうことになるんです。まずは試してみて。」
薬の離脱症状を薬で制すとは、何か矛盾を感じるが致し方ない。

今、リーゼ絶ちしてから3ヵ月たつ。
若干はあるが、頭のクラクラがなくなっている。
でも、私の薬ポーチにはリーゼが入っている。
お守りである。


今年一番の通院は私ではなく、ラニ君でした。
ラニ君は隔週日曜日に産卵防止の為にホルモン注射を打ちに行っているのですが、今年はカレンダーの並びが悪く元旦が日曜日ではありませんか。
当然ながら獣医さんはお休みで、4日に有給休暇を取り、ラニ君を病院へ連れて行きました。

1月4日が来るまで、すなわち正月の間中、私はヒヤヒヤしておりました。
というのはホルモン注射の効き目は2週間。
昨年最後の受診から4日まで2週間以上開いており、茶褐色の蝋膜をしたラニ君はいつでも産卵できる状態です。
「ラニ君、お願いだから卵を産まないで。」
私は心配でたまらなかったのですが、私の願いがつうじてか、ラニ君は卵を産まず、風邪もひかず、4日にホルモン注射を打ちました。

そして今、更なる心配です。
4日は水曜日でした。
次の受診を15日にするべきか22日にするべきか先生に聞いたところ
「このヒトは今、安定していますから、少しあけて22日にしましょう。」

仕事がなければラニ君の通院日に頭を悩ますこともなければ産卵の心配もないのでしょうが、なにせ仕事をしなければラニ君の病院代は捻出できず、自分も死活問題なので仕方ありません。
22日までラニ君が卵を産まないことを祈るばかりなのですが、もし産んでしまったらと心配するのが私の悪い癖です。
その時は「家族が病気で・・・」と言って会社を休むことにします。

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我が家は賃貸である。
元は畳だった部屋を無理やり洋室にリフォームしたのだろう。
だから壁に木の桟がある。
しかし、これがラニ君にはよかった。
格好の止まり木なのである。


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小首を傾げるラニ君。
この顔に私は弱い


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