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元地域猫、黒の猫生  02/24/2018  
かなり前になるが、『黒ちゃん』というタイトルで母が公園から連れてきた猫のことを書いた。
その後の黒の話になる。

以前のブログにも書いたが、公園から連れて来て、健康診断の為に病院へ連れて行ったところ、黒が猫エイズにかかっているとわかった。
しかし、母も私もそんなに心配はしなかった。
というのは、十数年以上前に亡くなったが、その頃飼っていた猫も猫エイズで、それでも16歳まで生きたからだ。
それに猫エイズだからといって、病院では特に治療もされず、薬を処方されることもなく、医師からは「様子を見て下さい。」で終わったのだった。

公園の地域猫時代の頃から黒は水をガブガブ飲む猫で、それは飼い猫になっても同じであった。
「黒ったら、やたら水を飲むのよ。どんぶり一杯飲んで、水がすぐになくなるの。黒がいると出かけられないよ。」
母はよくこう言った。
「でも可愛んでしょ。」
と返すと
「可愛くない。」
と母は言うが、我が母はこういう人なのである。
本当は可愛くて可愛くてしょうがないのである。

そうこうするうちに、今度は黒は体中を舐めまくるようになった。
「舐めまくって、お腹がハゲになっちゃった。どうしたらいいと思う?」
母から相談され、
「どうすればって、病院に連れて行くしかないでしょ。」
私が言うと、
「どこの病院へ連れて行こう。近所の○○でいいかな?」
近所の○○とは猫エイズと診断された病院だ。
近いし、駐車場が空いているから母はなるべくならばこの病院ですませたいようだったのだが、どうも私はその病院が信用できず、歴代の猫ちゃん達がかかった24時間体制の設備の整った病院を母にすすめた。
24時間体制のその病院は、駐車場が少ない、患者さんが多いのですごく待つ、また設備が整っているがゆえに色々と検査をし、お金もかかる、という理由から母は避けたかったようだが、結局母はそこへ黒を連れて行った。

そして結果はというと、猫エイズというのは変わりなく、アレルギーもあり、おまけに腎臓も悪いということがわかった。
舐めまくりはアレルギーによるもの、水をガブガブ飲むのは腎臓が悪い為であった。
薬が出され、腎臓にいい食事をこの病院で買うことになり、黒は定期的に病院にかかることになった。
「あー、大変な猫、拾っちゃったよ。」
本心ではないのだが、母はよくぼやいていた。

腎臓にいい食事は『腎臓サポート』といい、お値段もいい。
しかし黒の口には合わなかったようだ。
というより、公園にいた時はなんでも食べていたのに家猫になると我儘になる。
黒はその餌を残し、同居しているメリ子という猫が残した健康体の猫が食べる餌を食べ、メリ子はというという、黒の残した腎臓サポートを食べていたそうだ。

昨年のいつからなのかは記憶にないのだが、黒の食欲がガクッと落ちた。
血液検査をしたところ、腎臓の数値が物凄く悪く、病院からは入院をすすめられたが、母は入院はさせなかった。
「治る病気なら入院させるけど、入院させても治るわけじゃないから・・・」
と母は言い、また、いくら24時間体制の病院でも24時間付きっきりで黒を診てくれるわけではない。
患者さんは他にも沢山いる。
病院の狭いケージに入れっぱなしというのも可哀想だし、それに母の知人で猫を病院に預けて、ストレスでショック死した子がいたので、そういうのも母が入院させたくない理由でもあった。

黒は1週間に2回、点滴に通い、点滴以外に抗生物質やステロイド等の飲み薬も飲むようになった。
我が愛鳥ラニ君(セキセインコ)は隔週で通院し、月に1万円かかるインコだが、黒の病院代はラニ君の比ではない。
「金食い猫だ!」
と母は言ったが、勿論本心ではない。
また、そう言えるのは、まだ黒が元気だったからだろう。

黒の食欲は減る一方で、当然ながら痩せる。
元々は6キロ以上あった体重が5キロ台になり、今年に入ってから5キロを切った。
「腎臓サポートを食べるのがベストなのですが、黒ちゃんの好きな物を好きなだけ食べさせてあげて下さい。」
病院からはこう言われ、母は手を変え品を変え、黒の好みの餌を探すようになった。

つい数週間前のこと。
「黒がなまり節を3本食べたよ。」
母から喜びの電話が来た。
私と母との会話は専ら黒のことばかり。
「黒、年内もつかな?いや、夏までもつかな?」
黒の心配ばかりしていた。
と、同時に
「このなまり節が最後の食欲だったりして。今までの猫さん達も死ぬちょっと前に少し元気になったよね。」
などと、歴代の猫の回想をしたりし、しかし私達の嫌な予感は的中した。

なまり節は、黒が自力で食べた最後の食事となった。
その後は全く食べる気力がなくなり、母は黒を押さえ込み
「おまえ、食べないと死んじゃうよ。」
と言いながら、注射器に入れたドロドロの餌を口の中に流し込むようになった。
注射器といっても、それは小さな物で、わずかな量である。

そして先週土曜、
「黒の様子がおかしいの。後ろ足が立たなくなって、もう歩けないの。どうしよう。木曜に病院へ行ったばかりなのに。次の病院は月曜なのだけど、月曜まで様子を見た方がいいのかな?どうしたらいいと思う?」
母からややうろたえ気味の電話があった。
「病院に行った方がいいんじゃない。」
私が言うと、
「病院に行ったら入院と言われるかも。入院はさせたくないよ。」
「行ってみないとわからないじゃん。入院と言われたら、先生によく聞いて、その時決めればいいよ。」
こんな会話をし、それからすぐに母は黒を病院へ連れて行った。
本当は私も付き添いたかったが、その日の午前中に荷物が届くことになっており、付き添うことができなかった。

その日の午後、病院から帰った母からまた電話があり、
「点滴をしたよ。入院はすすめられなかった。もう末期の治療だって。あと1週間と言われた。」
こうして書いてみると、黒の様態は徐々に悪くなっていったのだろうが、その時はあっという間に悪化したように思えた。

翌日日曜、月曜から仕事に行かねばならない私と夫(ネパール人)は実家へ、黒にお別れを言いに行った。
毛布にくるまれた黒はべったりと絨毯の上にいて、
「ウーン、ウーン」
時々小さな声で鳴く。
食欲どころか、水さえも飲めず、横たわっているだけであった。
これまで看取った猫さん達もみなそうだったが、
「あー、本当に最後なんだな。」
と、そうは思いたくなくても思わざる負えない。

翌日、2月19日月曜、丁度昼休みの時、母からメールがあった。
『メールしたくなかったけど、黒、死んじゃったよ。』

公園の地域猫から家猫になってわずか2年5カ月で黒は逝ってしまった。
こんなに早く逝ってしまうとは・・・


先の話の続きのようにはなりますが、先週日曜、黒にお別れを行く前に、ラニ君を病院へ連れて行きました。
いつものホルモン注射の為です。
黒が死にそうだったということもありますが、ラニ君も今年の11月で5歳。
決して若くはありません。

最近、ラニ君の病院はすごく混んでいます。
待合室は患者さんと飼い主さんで椅子は満席、スリッパも足りないくらいです。

私が座った隣に黄色のセキセイがいて、飼い主さんとお喋りをしたところ、なんと10歳の男の子。
「長生きですね。」
と私が言うと、
「うちには他にも何羽もインコがいるんですけど、大体5、6歳で死んじゃうんですよね。この子だけ長生きで。」
「5、6歳で死んじゃうんですか・・・」
私ががっかりすると、
「インコは早いですよ。朝元気でも、急に具合が悪くなって、その日の夕方に死んじゃうんですから。」
これを聞き、ますます心配になる私。

10歳の男の子、いやおじいちゃんインコさんとご対面したラニ君はというと、恥ずかしいのかそっぽを向いていました。
病院にいる時は、ケージに入っていても、いつも私の方にベッタリくっついています。

10歳のセキセイさんは先に診察が終わり、帰られ、それから何十分もあとにラニ君の順番がまわってきました。
治療はいつも通りです。
「先生、先ほど10歳のセキセイの飼い主さんとお喋りをしたのですが、10歳まで生きる子もいるんですね。」
と言うと、
「あー、Sさんですね。そうなんですよ。あのヒトは10歳なんですが、精巣癌なんですよ。雄は年を取ると精巣癌になることが多いんですよね。」
「うちの子も10歳まで頑張れますかね?」
と聞くと、
「セキセイの寿命は大体5~7歳なのですが、このヒトは安定しているから、まだ大丈夫でしょう。」
こう聞き、ちょっと安心する私。
ラニ君には長生きしてほしく、これが今、私の一番の願いです。


image3.jpeg
母の膝に乗る公園時代の黒。
人懐っこくて、黒のファンは沢山いました。


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猫って狭い所が好きなんですよね。
小さなお盆に無理やり乗る黒。
黒の写真、あまりないんです。
生きている間に、元気な時に、
もっと撮っておけばよかったと後悔しています。

















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インコだぁーい好き | 猫日記  | TB(0)  | Page Top↑
夫、流行にのる  02/14/2018  
先々週の金曜日のこと。
起床し、仕事へ行く準備をしていると、いつもなら私より早く起き、慌ただしく準備をして家を出る夫(ネパール人)が一向に起きてこない。
「もう7時過ぎてるよ。遅刻しちゃうよ!」
布団にくるまっている夫に声をかけると
「あたま、いたい」
布団の中からか細い声が返ってきた。

夫はよく頭痛をうったえ、私のかかりつけの近所のW医院でMRIを撮ったこともあるのだが、ネパールにいた頃に悩まされていた蓄膿症は完治しており、どこも異常はなく、所謂頭痛持ちだと診断された。

「仕事は休みな。お金を置いておくから、保険証と診察券持って、W医院に行きな。」
と言ったが、うんともすんとも返答がない。
「まあ、子供じゃないのだから行くだろう。」
と思い、私は出勤した。

とはいえ心配だったので、昼休みにラインをしたら、遅刻して仕事に行ったというではないか。
ということはいつもの頭痛だったのだなと安堵し、仕事を終えて帰宅し、私の後に夫が帰って来た。
「頭、痛いの治ったの?」
と聞くと
「今も痛い。喉も痛い。体、全体が痛い。」
と夫。
「馬鹿だね。無理して会社、行くことなかったのに。ほれっ。」
夫に体温計を渡すと、ムムッ!
38度あるではなか。
風邪なのかインフルなのか、素人にはわからない。
痛い、痛いと言うので、とりあえず常備薬ロキソニンを飲ませる。

翌朝、熱は下がっていたが、体の節々が痛いというので、会社は休み、W医院に連れて行く。
夫は日本語の日常会話はできるのだが、どうしてなのかはわからぬが、病院に一人で行くのは嫌らしく、いつも私が付き添う。
「昨日の夜38度あって、とりあえずロキソニンを飲んで、今朝は熱が下がったのですが・・・。」
と私が言い、
「体のあちこちが痛いです。喉も痛いです。」
と夫が言うと、
「怪しい!インフルの検査をしましょう。」
と医師。
そして検査をしたら、インフルエンザA型と判明。

「先生、私は昨年、ここで予防注射をしたから大丈夫ですよね?」
と聞くと、
「それが今年のインフルは予防注射をしててもうつるんですよ。注射を打っていない人よりは軽くてすむのですけどね。うつらないようにするには手洗い、うがい、あと一緒にご飯を食べちゃダメです。」
「え
「一緒に食べるとマスクはずして、お喋りしながら食べるでしょ。うつりやすいんですよ。」
「そうなんですか。でもそもそも狭い家なんで、もう家中インフル菌だらけですよね。」
私と医師が話していると、
「先生、インコにうつりますか?」
夫が口を開いた。
「インコ・・・・いやー、インコにうつるかどうかはわからないけど・・・。それよりまずは奥さんにうつらないようにすることですよ。」
夫の質問に医師は呆れていたが、実は私も夫と同じことを考えていた。
私は仮にうつってもこの病院に来て、安静にしていれば1週間もすれば治るのだが、ラニ君にうつったら大変である。

それにしても、みんながみんなではないと思うが、男の人が病気になると厄介ですね。
インフルと聞いた途端、夫は重病人のようになってしまい、私は至れり尽くせりをせねばならなくなった。
8年前、私がインフルになった時は、熱があっても買い物に行き、ご飯を作ったというのに
ちなみに夫はインフルになったのは初めて。
今年、流行にのりました。


話は愛鳥ラニ君(セキセインコ)になりますが、先の話のつづきのようになります。
金曜に夫のインフルが判明し、その週の日曜に、いつものようにホルモン注射に行きました。
「先生、今、家族がインフルになってしまい寝込んでいるのですが、この子にもうつりますかね?」
と聞くと、
「今年はインフルが大流行しているようですね。うちの親父もインフルが多いと言っていましたし、うちの子供達も先週はインフルだダウンしてましたよ。」
と先生。
先生のお父様は人間を診る医師らしく、一族みな医師なのでしょう。
「きっと、先生のお子様達も、将来は人間か動物の医師になるのだろうな。」
なんて、話ながら思った私。
「インフルがこのヒトにうつることはないので大丈夫ですよ。」
そう言われて一安心。
ラニ君はいつものようにホルモン注射と点滴をしました。

帰宅し、
「ラニ君にインフルはうつらないってよ。」
私が言うと、夫も安心したらしく、
「ラニ君、よかったね。」
などと夫はラニ君に声をかけ、インフルで休んでいる間中、朝からラニ君をケージから出し、遊ばせていたようです。
おかげでラニ君は遊び癖がついてしまいました。


前回、会社で試験があると書いたと思いますが、その試験は来週です。
ブログを書いている暇があるのなら勉強しろって感じなのですが、一応1㎝位のテキストは何度か目を通し、模擬問題も何度もやり、だからといって万全ではないのですが、なにしろ内容がつまらなくて、全然やる気がおきないのです。
現在研修期間中で、来週は試験勉強の日も設けてくれるようなので、
「まっ、いいかっ!」
ってな感じです。

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夫とラニ君。
ご飯茶碗に入っているのはフルーツ入りヨーグルト。
ほどよい器がなく、いつも茶碗に入れています。
ラニ君はこれが大好きです。


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大好きといってもラニ君は一人では食べません。
人と一緒に食べるのが好きなよう、夫と同じです。
我が夫も一人ではご飯を食べれず、というか「一人で食べるご飯は美味しくない!」
と言い、我が家はいつも三人一緒に夕食を食べています。

















病気と付き合いながらの生活 | 家族  | TB(0)  | Page Top↑
停滞している夫(ネパール人)の実家での体験だが、つづきは2月末以降になる予定。
というのは、昨年仕事を辞め、その後仕事が決まり、今月末から出勤なのだが、この会社、外部での試験があり、試験に合格しなくてはならない。
実はこの試験、受けるのは初めてではない。
前職と同じ業界であり、この業界で働く者はみな、この試験を受け、合格しなくてはならないのだ。
まあ、難しい試験ではないのだが、コツコツ勉強しなくてはならず、今、コツコツ勉強をしている真っ最中。
試験が終わるまで落ち着かないので、『夫の実家(四)』は試験が終わってから書きたいと思う。

さて、話は私がいつもいつも書いている機能性胃腸症に変わる。
機能性胃腸症の原因は不明のようなのだが、ネット等で調べるとストレスとされてる。
これまで私の最大のストレスは仕事だったので、仕事を辞めれば機能性胃腸症も治ると思っていた。
ところがどっこい、2カ月以上療養をしても、機能性胃腸症は治らない。

遡ること12月。
「胃の調子が悪い。」「吐き気がする。」「頭がクラクラする。」などと、いつもいつも友人に体の不調をぼやいていたところ、見かねた友人が友人のかかっている整体の先生に私の症状を伝えたところ、恐らく自律神経の乱れだろうと言われ、その接骨院は電車には乗るが、私の家からもそう遠くはないので、私もかかってみることにした。

問診をしたところ、私の場合、針を打つことになった。
とはいえ1回打っただけで効くわけではなく、初めの5回までは週2で、その後はできれば週1でかかってほしいとのこと。
針は肩、首、頭、合計11本打つ。
効き目のほどはというと、5回かかってはみたものの、まだよくわからない。
ただ、11月に悩まされていた「頭のクラクラ(めまいらしい)」はだいぶなくなった。

不思議なもので頭がクラクラ(めまい)している時は、胃の調子はまあまあであり、クリスマスイブに夫と外食をした。
外食といっても豪華な場所ではなく、近所のファミレスである。
そこで大根おろしのかかった鶏肉を食べた。
そのファミレスではいつもこれを注文し、普段は肉もご飯も半分しか食べず、残りの半分は健胃の夫にあげるのだが、その日は体調がよく、欲に負け、全部平らげたのだが、それが悪かった。
翌日から胃がムカムカし始めた。

私はちょいちょい機能性胃腸症のコミュニティを覗くのだが、この病気の人はみな似ている。
調子がいい日が続くと、つい油断をしてしまう。
というのは胃の調子が悪くなるとろくな物を食べられなくなり、抑圧されているということもあるが、栄養面も気になる。
余談だが、以前私の食生活を担当医に話したところ
「ダイエット中の女子高生よりもひどいかもしれないね。」
と言われた。
話は元に戻るが、調子がいいと油断して食べると覿面体調を崩す。
人によって出る症状は違うようだが、私の場合は胃のムカムカや吐き気であり、一度体調を崩すと回復するのに1~2週間かかる。

ファミレスで体調を崩し、少し回復をした12月28日、2017年最後の病院へ行った。
前回書いた、近所のWクリニックである。
「○○さん(私のこと)の場合、血液検査は全て正常なのだけど、僕も半信半疑なのだけど、数値には表れない鉄不足の人がいて、うつ病のような症状が出るという説があるんだよ。試しに鉄を飲んでみる?」
医師はこう言い、私は試してみることにした。
「ただ、人によっては鉄剤を飲んで気持ち悪くなる人もいるんだよねー。」
「先生、もし気持ち悪くなったらどうすればいいのですか?」
「飲むのをやめればすぐにおさまるよ。」
飲むとは言ったもののなんだか嫌な予感がし、予感が的中した。
鉄剤を2回飲んだら、胃がムカムカしだし、せっかくよくなりかけていたというのに年末年始は胃の不調でダウン。

年が明け、1月4日、朝一番に病院へ行く。
「あー、やっぱりダメだったか。」
医師は頭をかかえた。
そしてこれまでの私の電子カルテを丹念に見、
「前に具合が悪くなった時に眠くなる薬を点滴して、その後よくなっているのだけど覚えてる?」
「うーん、忘れました。」
「その時点滴した薬、アタラックスと言うのですが、精神科的にはNGの薬なのだけど、試してみましようよ。とりあえず1週間分出すので、1週間後に様子を教えて。」
この薬、痒みに効く薬なのだが精神を落ち着かせる作用がある。

アタラックスを飲みはじめて1週間、頭のクラクラはかなりなくなり、以前のようなひどい吐き気もないのだが、相変わらず若干ではあるが胃がムカムカする。
パン、スープ、お粥とろくな物を食べていないのに。
医師にそのことを伝え、ついでに
「先生、もうすぐ仕事が始まるのですが、こんな体で通勤ラッシュに耐えられるか不安です。」
と言ったところ
「抑肝散って、飲んだことある?」
「漢方も色々飲んだことはあるのですが、抑肝散は多分飲んだことはないと思います。」
「昔は子供の疳の虫に使った薬なのだけど、最近では認知症にも使われているんです。僕の患者さんで横断歩道が渡れなくなってしまった人がいてね、これを飲んだらだいぶよくなったんですよ。ところで○○さん、胃カメラはいつした?」
「覚えていないのですが、3年位前かな~?」
と言うと、
「ここでは胃カメラはないので、紹介状書きますから胃カメラ受けてみて。」
「多分、なんともないと思うのですが・・・。」
「なんともなかったらそれで安心なのだから。抑肝散は即効性はないのだけど、2、3日続けるとゆっくり効果が出てきます。」
「先生、私の病気って、何なんですか?」
改めて聞いてみたら
「昔だったら自律神経失調症で片付けられたのでしょうが、今はそれをしちゃいけないからね。」

こんなわけで来週胃カメラを受けることになったのだが、多分、胃はどこも悪くないと思う。
仕事をしていなくても、している時よりは少しはましであるが症状はあり、この極度の胃弱が体質になってしまったように思う。


夫(ネパール人)は時々職場で愛鳥ラニ君の話をしているようです。
「今日、職場の人に△△さん(夫のこと)はペットいるの?と聞かれたよ。」
「それで何って言ったの?」
私が聞くと、
「ワタシ、こう言いました。セキセインコを飼っています。名前はラニ君です。ラニ君は女の子です。卵を産むから病院にかかっていて、1カ月に1万円かかります。ラニ君はお喋りができて、日本語、英語、ネパール語、ぜーぶんわかります。何でもわかる頭のいい子です。」
病院にかかっていて、1カ月1万円かかるのは本当だが、お喋りはできず、随分と尾ひれをつけて自慢したものです。

そのラニ君ですが、最近は食事の時間が大変です。
食卓にベッタリへばりつき隙あらば盗み取りをしようと狙っています。
幼い時はそんなことをしなかったのに・・・。
成長したということですね。

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毎週日曜、夫が作るフルーツヨーグルトです。
夫は盛り付けにこだわります。


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黄色い子(ラニ君)が狙っています。
特にパンが好きです。
















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限界  12/12/2017  
久しぶりの更新である。
これまでの流れから行けば『夫の実家(四)』なのだが、少し脱線したいと思う。

これまで何度も書いているが、私は機能性胃腸症であり、もう何年もこの病気に苦しんでいる。
これも何度も書いているが、一番辛い症状は吐き気である。
この病気の為にかかっている病院は、隣駅の精神科、隣の隣の駅の漢方内科である。
そしてこの2件以外にも病院にかかっている。
近所のW内科はコレステロールを下げる薬を貰う為に、隣駅の婦人科は更年期防止、そして緑内障があるので眼科にもかかっており、休みの日はどこかしらの病院に時間を費やし、病院代も馬鹿にならない。

吐き気防止の為に、夜は精神科で出されているジプレキサという薬と抗不安薬のメイラックス、W医院で貰っている胃にまつわる薬を飲み翌朝に備える。
ところが朝、気持ち悪い。
出勤前にガスモチンを飲み、電車に乗ったらますます気持ち悪くなりナウゼリン(吐き気止め)を飲み、会社に着き仕事をしていても吐き気はおさまらず、抗不安薬のリーゼを飲む。
これでよくなることもあるのだが、午後も続く時も多々あり、また順に薬を飲む。
当然ながら食欲もない。

つい最近までかかっていた精神科の医師はこう言った。
「吐き気があっても吐くわけじゃないのだから我慢しなさい。同じ病気の人との情報交換やコミュニティに参加するのもやめた方がいい。点滴なんてポカリスエットと同じだから、食べられなければポカリを飲めばいいのよ。あと、仕事は絶対辞めちゃダメ。」
若い女性の医師で、口調はやんわりなのだが、言うことは手厳しい。

精神科の医師の言葉に従い、これまで我慢をしてきたが、11月初旬とうとう限界がきた。
その日も朝から気持ち悪く、いつも通り『薬飲みまくり』であったが、頭までクラクラしてきた。
この頭のグラグラ、若しくはクラクラする症状も以前から時々あり、精神科ではリーゼの副作用だと言われ、リーゼの変わりにメイラックスが出されたのだ。
が、頭がクラクラする時にリーゼを飲むとおさまることも多く、
「これって、なんなんだ?本当にリーゼの副作用なの?」
以前より私は疑いを持っていた。

話を元に戻すが、この日の頭のクラクラは一段とひどく、クラクラがグラグラになり、
「こりゃ、まずい!」
と思った私は会社を早退し、近所のW医院にかかった。
W医院の医師は私と同世代の男性であり、私の話もよく聞いてくれ、親身になって考えてくれる。

頭のグラグラはめまいだそうだ。
ひとまずトラベルミンが出され、様子を見ることになり、3日程会社を休みトラベルミンを飲んだらグラグラはおさまった。
そしてまた出勤をしたのだが、相変わらず吐き気がし、以前よりも吐き気は酷くなっている。
最強の吐き気止めジプレキサも私の吐き気には全然効かない。

またW医院に行く。
殆ど食事をとっていなかったので、ひとまず点滴をし、検査をする。
W医院の医師の専門は脳外科であり、医師は脳下垂体のホルモン異常を疑ったのだが、幸いホルモンは正常であった。
めまいというと三半規管があがるが、恐らく三半規管ではないだろうとW医院の医師は言い、私もそう思った。
となると、極度のストレスしか考えられず、もっとも私も仕事のストレスだとは思っていたのだが、
「仕事、辞めたらどうかなー。今、求人沢山あるから心配しなくてもいいよ。仕事を辞めて、少しゆっくりした方がいいよ。あと、精神科、漢方内科もやめたてもいいんじゃないかなー。ジプレキサもメイラックスもうちで出せるし、色々な病院にかかると薬ばかり増え、どの方向に向かっているのかわからなくなるから。めまいはジプレキサやメイラックスの副作用かもしれないから、少しづつ減薬しましょう。」

11月は殆ど会社に行かず、家でゆっくり過ごしていたら、酷かった吐き気が止まった。
が、長期休暇ではいづれは復帰しなくてはならず、毎週会社に状態を報告するのが、これまたストレスであり、ついに決断した。
「会社を辞めよう。」と。

というわけで、12月頭、会社を辞めた。
今の状態はというと、吐き気は止まったのだが、頭がクラクラすることは時々ある。
「頭のクラクラは許容することはできない?もう、こういうものだと思うの。まずは減薬してどうなるか見てみましょうよ。」
W医院の医師はこう言い、現在減薬中である。
ジプレキサは一日おきになり、メイラックス1㎎を半分に割って飲んでいる。

それにしても家にいてもついつい求人を見てしまい、応募をしたりしている。
仕事をしている時は休むことばかり考えていたというのに、いざ無職になると先の心配ばかり。
矛盾を感じる今日この頃。
この性格がよろしくなく、自分でストレスを招いているとも言えよう。
これがわかっただけても一歩成長、と思うことにした。


話は私が一番大切に思う、セキセインコのラニ君にかわります。
先に書いたように、11月はダウンしていたので、隔週のラニ君の病院は夫(ネパール人)に行ってもらいました。
以前、ラニ君がぐったりしてしまった時に夫も一緒に病院へ行ったことはありますが、夫ひとりでラニ君を病院へ連れて行くのは初めてです。
ラニ君はいつもホルモン注射と点滴の注射も打っていること、清算したら次の予約もすること等、夫にいつもの流れを説明しました。
夫はというと
「わかった、わかった。ワタシ、全部わかりました。問題ない。」
笑って、自転車の籠にラニ君を乗せ、出発しました。

夫の後ろ姿を見送った後、私はというと、すぐに病院へ電話をしました。
「今日は夫が行きます。外国人で、日常会話の日本語はできるのですが、ちょっと変な日本語なのでよろしくお願いします。」
これでは過保護な親のようですね。
こういう心配性なところもストレスを招くのでしょう。

夫とラニ君が帰宅。
「どうだった?」
私が聞くと、
「注射二つしました。ラニ君、何も問題ありません。」
夫はこう言うと、
「プッター!プッター!」
ラニ君を病院用のケージから出し、部屋へ放ちました。
プッターというのは夫独自の言葉なのかネパール語なのかはわかりませんが、「飛べ」という意味のようです。

そして夫までもが
「ラニ君の先生、ハンサムですね。」
と言いました。
「だからいつも言っているじゃん。先生がハンサムだと。」
「でも、ラニ君から一番ハンサムはワタシです。ラニ君はワタシのこと、一番好きですから。」
笑う夫でありました。

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小首をかしげるラニ君。
親馬鹿ですが、「かっわいー


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羽繕いするラニ君。
中のグリーンの羽も可愛いのです。
また親馬鹿ですね。


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夫の実家(三)  10/15/2017  

『夫の実家』のつづきである。

夫の村は、段々畑の間に家がポツンポツンと建っている、山と畑しかない所だった。
雪の帽子をかぶったガウリサンカールという7千メートルを超える山がくっきりと見え、山好きにとっては素晴らしい場所なのかもしれないが、残念ながら当時の私、山に興味がなかった。
夫の説明を聞いても
「ふーん、あっ、そう。」
そっけない返事しかできない。

夫の家の前には大きな棒が立っており、棒の先には旗が垂れ下がっていた。
夫曰くこの旗は仏教徒の象徴。
そして村で一、二を争う金持ちの家はというと、何をもって金持ちというのか私にはわからないのだが、確かに隣、とはいっても50メートル位先なのであるが、隣の平屋の家に比べれば夫の家は3階建てで大きい。
が、そこはネパールの山奥である。
文章力がないのでこの家をどう表現していいのか思いつかないのだが、日本の立派な農家のお宅の横にある農機具等を置いている小屋のような感じとでも言おうか。

1階は居間。
靴と靴下を脱いで入るのだが、脱いだ先は床でもなければ畳でもなく、土である。
日本で言えば土間だ。
土の上を裸足で歩くので、足の裏は常に真っ黒、というより灰色である。

居間の真ん中には囲炉裏があり、囲炉裏のまわりにはわらで編んだむしろが敷かれている。
囲炉裏の傍には、多分お父さんが作ったのであろうが、木の棚があり、食器が並んでいた。
1階の居間にあるのはそれだけである。
おっと、もうひとつあった。
ニワトリがいた。
産卵したばかりのニワトリが囲炉裏のそばで卵を温めており、まさに『日本むかし話』を思わせる。
(若い人は知らないでしょうが、昔、『日本むかし話』というアニメがありました。)

2階は家族全員の寝室だった。
ベッド、といっても木の台の上に布団を敷いただけのものなのだが6台が置いてある。

3階は天井が低く屋根裏部屋のような感じであった。
私が行った時には何もなかったが、作物を蓄える場所だそうだ。

というわけで、この3階建ての家はシンプルすぎるくらいシンプルで、個室もなく、従ってプライベートもなく、そして電気、ガス、水道も通っていない。

次は家の外の説明になるが、家の前には小屋があり、小屋の中には自家製の酒があった。
あとでわかったのだが、この小屋は農家の諸々の作業をする場所でもある。
そして小屋の脇に、私にとって一番重要なトイレがあった。
ドアはなく、目隠しのように布切れがペランと垂れ下がっていた。
便器はなく、穴があるだけ。
日本で言えば、昔、肥溜めというものがあったが、といっても現在オバサンの私とて肥溜めなんて見たことがないのだが、多分肥溜めと似たようなものだと思われる。
水洗ではなのでトイレの中は悪臭が漂ってたが、それでもないよりはマシである。

先に書いたようにトイレの前には布が下がっているだけなので、私が入っている時に誰かが布をめくることもあれば、その逆、誰かが入っている時に私が布を開けてしまうこともあった。
そんな時は「あっ、ごめん。」という感じで、なんとなく一瞬気まずい雰囲気は流れた、と思ったのは多分私だけであろう。

そして私が気になったのはよそのお宅である。
よそのお宅にはトイレがないらしく、どうしているのかと夫に聞くと
「こーんなに広いんだ。トイレの心配なんていらない。どこでもトイレだよ。」
夫は笑うだけ。

家の前には畑が広がっており、黒と茶色の毛が混じった大きな犬、牛、水牛、ヤギ、そして放し飼いのニワトリが50羽位歩いている。
「どこまでがアナタの家の土地なの?」
と夫に聞くと
「あっちの方までぜーんぶワタシのうちの土地です。土地はここだけでないです。他の所にもワタシのうちの大きい畑があります。動物もここにいるのはちょっとだけ。他の所に動物の家があります。」
説明をする夫はなんだか鼻高々なのだが、そんなことよりも私は風呂に入りたい。
なにせ18時間も歩いたので全身汗だくで気持ち悪く、夫もそうだったようだ。

夫はどこからかバケツに入れた水を持って来て、家の前にある小屋の前でパンツ一枚になった。
そして頭の上から水をかぶり、
「あー、フレッシュ!」
と言う。
「水でいいから私もシャワーしたいのだけど。女の人はどこでシャワーするの?」
と聞くと
「わからない。」
と夫。
「なんでわからなの?自分の家でしょ!」
と言うと
「ワタシは女の人ではありません。だからわからない。男は簡単。どこでもシャワーできます。」
と笑う夫ではあったが、とはいえ私にシャワーを浴びさせないわけにはいかないと思ったようだ。
水を入れたバケツを持ってて、次に大きな簾のような物を持って来た。
家の前に広がっている野っぱらに簾の両端を少し斜めにして立ててみたら、簾は危なげながらも立ち、なんとなく目隠しらしきものができた。
「この中でシャワーをすればいい。」
と夫。

ネパール人は服を着たまま水浴びをするようだが、日本人の私は全部脱がないと風呂に入った気がしないので、素っ裸になり、簾の中で柄杓のようなものでバケツの水を汲み、汗を流した。
すると突然ビュンと強風が吹いた。
と同時にめかくしの簾がバタンと倒れた。
素っ裸の私はというと、急いで持っていたファイスタオルで前だけ隠し、片手で簾を立てようと試みるも、簾が重くて片手ではどうにもならない。
「ちょっと~、来てよ~。倒れたよ~。」
夫を呼ぶも、夫はどこかへ行ってしまっており、来る気配がない。
仕方なく、簾を背中に乗せ、バケツの水を頭からサバっとかけ、水を拭うのもほどほどに、そそくさと服を着た。
私が村で水浴びをしたのはこの1回だけ。
この村の女性はどこで体を洗っているのか、未だに謎である。

水浴びを終え、家に戻ると妹が干した鹿肉と野菜を入れた雑炊を作ってくれた。
美味しかった。
ネパール語で「美味しい!」と言うと、
妹も父もどんどん食べてと言い、私もこれが夕食なのだと思い、満腹になるまで食べた。

日が暮れると農作業を終えた家族がぞろぞろと戻って来て、この家の住人が把握できた。
父母、妹、弟、姉の子供2人の合計6人。
そしてこの日は近くに住んでいる夫の兄が来、近隣の男が3人来た。
どうやら外国人の私を見に来たらしく、1階の土間のような居間は人でいっぱいになった。

村人達は私を見て、
「私達とそっくりだ。この村の服を着ればネパール人だ。」
と、私の容姿を見て驚いていた。
恐らく私はこの村に来た初めての外国人で、彼等が日本人を見るのは初めてだったに違いない。
夫が私も仏教徒だと話したらしく、昔も今も仏教のことなどろくに知らない私だが、初七日や四十九日の事を夫を介して話すと、
「我々と同じだ。」
とまたまた村人達が驚く。

男達が話ている間、女達は夕食を作り、ご飯、野菜のカレー、豆のスープが出来た。
「さあ、食べて、食べて。」
まず私にふるまわれたのだが、今さっき雑炊をたらふく食べたばかりだ。
腹は減っていない。
「さっきのが夕食じゃないかったの?」
と夫に言うと
「さっきの!あれはおやつだよ。」

その日は夜10時頃まで、夕食を食べながら自家製の酒を飲み、夫と夫の家族と村人達は盛り上がっていた。
ネパール語がわからない私はというと、ガブガブ酒を飲み、卵を温めているニワトリを触ったりしていたのであった。


今日は愛鳥ラニ君の2週に1度の通院日でした。
前回2週間分の漢方が出されたので、
「薬はどうでしたか?」
と先生が仰る。
「あのー、薬入りの水を飲んでいるところを1度も見たことがないんです。そもそもこの子が水入れの水を飲んでいるところが見たことがないもので・・・」
と答えると、
「まあ、飲んでいることは確かです。今日のこのヒトのフンは湿っていて、とてもいいです。次回のフンを見て、薬を飲むかどうか決めましょう。」

清算の時、
「髪に白い物がついていますよ。」
受付の人に言われる。
「あっ、それは多分この子のフンです。私、よく頭にフンをつけて歩いているようでして。」
受付の人に大笑いされ、髪を触ってみたら、やっぱりラニ君の乾いたフンであった。
それを見て
「かっわいいー
フンまでも可愛いと思う私。
最近のラニ君は夫や私を後追いするほど人間にベッタリで、可愛くて可愛くてたまりません。
親馬鹿ですみません。

スキャン_20170928
ピンボケですが、夫の村の家の写真が出てきたのでスキャンしました。

スキャン_20170928 (2)
夫の村の家で飼っている犬。
夫の家の前は野っぱらで、家一軒すらありません。


IMG_20171009_093809.jpg
今、ラニ君の好物のあわ穂をベランダで栽培しています。

IMG_20171015_170910.jpg
頭の上に乗るのが好きなラニ君。
いつも前髪にぶら下がり、その時にフンをするのでしょうね。
会社でも「白いモノがついているよ。」
と指摘されたことが2度あります。(笑)


















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