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手紙  09/28/2018  
ラニ君が逝ってから3週間がたちました。
拍手、温かなコメントありがとうございます。
この場をかりてお礼申し上げます。
今日はラニ君へあてた手紙です。

----------------
大好きな、大好きなラニ君へ

ラニ君、貴女(あなた)は今、どこにいるのかな?
パパ(ネパール人夫)がよく話す、白い道と黒い道のお話、貴女は知っているよね?
パパの民族の話らしいのだけど、死んだら、まーっくらな所にまずたどり着き、白い道と黒い道が見えるんだって。
白い道には大きくてこわーい犬やライオンが待ち構えていて、ガウッーと唸っていて、なかなか先に進めないんだって。
黒い道はというと、すごーく暗いのだけど、とーっても心地よくて、すいすい進めるんだって。
みんな、まず、白い道に行くのだけど、大きな犬やライオンが怖くて、中には引き返して、黒い道へ行ってしまう人もいて、でも、怖い犬やライオンを乗り越えると、白い道の先には花が沢山ある素晴らしい世界が広がっているんだって。
すいすい行ける黒い道の先にはこわーい人が沢山いて、過酷な労働が待っているんだって。
日本で言ったら、天国と地獄の話だね。
「これはワタシの民族の話です。」
とパパは言っていたけど、ママ(私)はパパの作り話なんじゃないかと思っているよ。
でも、この話が本当なら、賢くて、素晴らしい羽を持っている貴女は、きっと白い道へ行ったとママは信じているよ。

貴女が亡くなった週の日曜日、パパとママは、パパとママの行きつけの、歩いて2分の所にある大きな店に行って、スマホに沢山入っている貴女の写真をプリントして、その中の何枚かを写真立てに入れて、部屋に飾ったよ。
もしかしたら、貴女は、たかーい所から見ているかもしれないけど、
「ラニ君、おはよう。」「ラニ君、ママ、仕事に行くね。」「ラニ君、ただいま。ママ、帰ったよ。」
貴女はもういないけど、ママは毎日貴女の写真に向かって話しかけているよ。

だからなのかな?
ママのママ、貴女から見たらおばあちゃんだけど、おばあちゃんの家にいる猫のメメタンを呼ぶ時、間違って「ラニ君」と言っちゃったよ。
それにこんな事もあったよ。
貴女はよく知っていると思うけど、ママはお腹が一杯になるとテレビをつけたままよくうたた寝をするよね。
うたた寝しながら
「あのね。」
と言って、
「何?」
布団の上で寝転がりながらゲームをしていたパパが返事をしたら
「魚入りの餌、ラニ君にあげなくちゃ。」
と、ママは言ったらしいの。
「この女、寝てる。」
パパは確信して
「起きて、起きて。寝るなら布団で寝て。」
パパに叩き起こされたよ。

寝言はこれだけじゃないの。
昨日もやっぱりお腹が一杯になったら眠くなっちゃって、つけていたテレビ番組もつまらなかったからうたた寝しちゃったんだよ。
「ここで寝ちゃダメ。」
と言うパパに
「今、忙しんの。」
「何が忙しいの?」
「保険に入るんだよ。」
「保険?誰の?」
「ラニ君のだよ。ラニ君、保険に入るんだよ。」
「なんでラニ君、保険に入るの?」
「インコはみんな保険に入るんだよ!」
ここで、ママもハッと目が覚め、自分で寝言を言っていたことに気づいたんだ。
いや、会話をしていたのだから寝ぼけていたのと寝言のミックスだね。
それにしても、寝言って不思議だよね。
魚入りのインコの餌なんてないし、なんでラニ君が保険なのだろうね?

パパとママは二人共オジサンとオバサンだけど、二人共すごーく幼稚なところがあることを、貴女は知っているよね。
「神様が一つだけ願い事を叶えてあげると言ったら、何、お願いする?」
パパとママはよくこんな会話をするのを、貴女は聞いていたよね。
「ロト6に当たりたい。1億当たりたい。10億でもいい。」
パパの答えはいつもこれ。
よく言えばパパは軸がぶれないんだよ。
ママは「宝くじに当たりたい。」と言ってみたり、貴女とパパがすごーく仲良くしているのを見た時は、
「ラニ君の愛情が欲しい。」
と言ったりしたよね。
今のママの願いは、
「もう一度だけでいい、もう一度だけでいいから、ラニ君に会いたい。」
絶対に叶うことはないのだけど、ママはもう一度貴女に会いたい、すごく会いたいよ。

ラニ君、人間界には『ペットロス』という言葉があってね、3週間たって、貴女がいない生活にだんだん慣れてはきたけれど、ママは少しだけ『ペットロス』みたい。
でもメソメソ泣いたりはしていないし、仕事にも行っているし、それにブログを書く気にもなった。
だから心配しないでね。

r11
パパとママは、ラニ君のこのお顔を見て、
「髭ラニ」
と、よくからかったよね。
このお顔も大好きだったよ。


r13
ラニ君、貴女はこの器で食べるのが好きだったね。
今でも夕食時になると
「ラニ君にあげる物、何かある?」
とパパは言うよ。
パパは貴女の器に貴女の好物を入れて、貴女の写真の前に置くんだよ。
毎日、新鮮な物でないといけないと言うの。
だから、ママは、毎日、貴女が好きだったトウモロコシやリンゴやスイカを買っています。
























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お別れ  09/07/2018  
取るに足らないことしか書いていないこのブログにいつもご訪問下さる方、ありがとうございます。
今日はご報告です。

9月6日23時40分、愛鳥ラニ君が天国へ旅立ちました


4日に入院をさせた私ですが、ラニ君のことが気になってしょうがなく、5日、仕事の合間に病院へ電話をしたところ
「非常によくないです。このヒトは神経質らしく、全然餌を食べません。体重も27グラムまで落ちています。」
と先生。
それを聞いたら、仕事はしましたが、いてもたってもいられず、仕事帰りに病院へ直行しました。

病院へ着くと、診察室に通され、病院のケージに入ったラニ君が連れて来られました。
私を見ると一目散に私の方に寄って来て
「早くここから出して。」
と言わんばかりに何度もジャンプをしました。
今にして思えば、最後の力を振り絞ったジャンプだったのでしょう。
健気な姿に胸が一杯になり
「先生、このまま連れて帰ります。」
「そうですね。このヒトは飼い主さんと一緒じゃないとダメなのでしょう。ここにいるより飼い主さんの所にいた方がいいでしょう。」

そして、昨日の6日、仕事を休むわけにはいかなかったので、ラニ君の様子見と通院を徒歩7分の所に住む母に託しました。
『ラニ君、餌とおやつ食べてるよ』
昼間の母のメールはこうだったのですが、
仕事を終え、帰りの電車の中でメールチェックをしたら
『ラニ君、体重また減って23グラム。今日明日が山みたい。ハチミツをうーんと薄めた水を嘴につけてあげて下さいと先生が言ってたよ。ハチミツは買ってあるから。』
急いで家に帰りました。

帰宅すると、先に帰宅していた夫(ネパール人)が
「ラニ君、もう力がないよ。」
ラニ君は起毛の毛布の上でベッタリと腰を落としていました。
夫が帰宅した時はケージの中に吊るしてあるブランコに乗っていたようですが、ケージから出した途端力がなくなったようでした。
大好きだった、我が家でラニ君の為に栽培しているあわ穂をあげると、少しついばみました。
しかし口は開いたままで、喉を通っていかず、あわ穂の粒は下に落ちるだけ。
食べたいという欲はあるのですが、体がついていかないのです。

私も夫も朝が早いので、10時には就寝します。
とはいえ、この時点で私は仕事は休むと決めていたのですが、2人でラニ君をどこに寝かせるか悩み、やはりいつも寝慣れているケージがよかろうと、夫がケージの中に毛布を敷きました。
しかし毛布の上はラニ君が落ち着かないようで、その昔買ったお椀型の藁で出来た巣を入れてみたのですが、安定の悪い巣からラニ君は落ちてしまい、自力で這い上がることができません。
止まり木に止まりたそうにしていたので、位置の調節のできる止まり木を一番低くし、その上にラニ君を乗せ、真下にタオルを敷きました。

暫く止まり木に止まってたラニ君でしたが、そのうち前後に体が揺れ始め、真下のタオルの上に落ちました。
鳥が死ぬことを「落鳥」と言うようですが、まさにそうです。

タオルの上でラニ君はずーっと横たえていました。
目はつぶり、私が「ラニ君」と呼びかけると小さくなってしまった目を少し開け、またつぶるの繰り返し。

そして、11時40分、タオルの上でラニ君は4回痙攣を起こし、動かなくなりました。
「ラニ君、一緒に沢山遊んだね。ママ、楽しかったよ。今までありがとう。」
私は動かなくなったラニ君を手の平に乗せ、ラニ君に向かって1時間程声をかけ続けました。
この時は涙は出ませんでした。
死んだということがすぐには受け入れられなかったのです。

そんな私に夫は
「アナタがラニ君、殺しました。ラニ君に注射ばかりするから。ラニ君、早死にしました。」
と言うのです。
というのは、ネパールにいる頃、夫はタイソンという名の犬を飼っていたのですが、ウィスキーを飲ませたり、犬にとってよくない物を飲み食いさせていたからだと私は思うのですが、タイソンはわずか8ヵ月で死んだのです。
「アナタがタイソン、殺しました。」
タイソンの話になる度に私が言っていたので、夫の逆襲なのでしょう。

朝、お世話になった先生にメールを送ると、ほどなくして先生から返信が来ました。
『そうでしたか。でも、最後、待っていてくれたのですね。この子は弱い子でした。でも、しっかりと愛情を受けてこられたので、これまで大きな事なく、生きて来られたのだと思います。そういった意味では、とても幸せな子だと思います。とても大切に愛されていましたから。ラニちゃんのご冥福をお祈りします。』
これを読み、初めて、私の目から大粒の涙が溢れました。
死んだラニ君の体をまた手の平に乗せ、
「もっと、もっと、一緒にいたかったよ。ラニ君、注射ばかりさせてごめんね。留守番ばかりでごめんね。ラニ君、辛かったよね。ママ、あと何年後か何十年後かわからないけど、ラニ君の所に行くからね。それまで待っていてね。」

ラニ君は実家の庭に埋葬しました。
実家の庭ではラニ君にあげる為に栽培したあわ穂が大きくなっていました。
箱にラニ君を入れ、ラニ君が大好きだったあわ穂と遊びかけだったカットルボーン(イカの甲)も入れ、ラニ君と同じ色の黄色の花を飾りました。

以前、かかりつけの先生に寿命を聞いたところ
「セキセイインコの寿命は6~8年で、その間をとって7年と私は言っています。」
と仰っていました。
ラニ君が10歳まで生きるとは思っていませんでしたし、いつかはお別れがくると思ってはいましたが、今年の11月で6歳になるラニ君でしたから、あと1、2年は一緒にいられると思っており、心の準備ができないまま逝ってしまったラニ君。
いや、これが1年先でも2年先でも、きっと心の準備なんてできないのでしょうね。

実家から我が家に帰ったら、「ラニ君、ママ、帰ったよ。」と、思わず言ってしまった私。
今までは、仕事に行く前は冷房のランプがついているのを確認し、「ラニ君、よし」と指さし確認し、雨戸を閉める時はラニ君が別の部屋にいることを確認してから、やっぱり「ラニ君、よし」と独り言を言ってから雨戸を閉め、台所で火を使う時はラニ君が台所に来ないように細心の注意をはらっていましたが、もうそんなことをする必要もなく、それがとてつもなく淋しく、悲しい私です。


rani4.jpeg
夫のチェーンで遊ぶラニ君。
この遊びも好きでした。


rani3.jpeg
ラニ君のお墓。
ラニ君が来て以来、私の一番好きな色は黄色になりました。






















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ラニ君がいない日  09/04/2018  
本来ならば、『夫の実家(五)』となるところなのだが、脱線します。
私にとってかけがえのない存在、目の中に入れても痛くない、愛鳥(セキセイインコ)ラニ君の話になります。

いつもいつも書いていますが、ラニ君は隔週で、月2回病院にかかってます。
産卵防止の為にホルモンを抑える注射をしているからです。
いつから注射をしているのかは、昔の病院のレシートを引っ張り出して調べなくてはならず、それは面倒なのでしませんが、今年の11月で6歳になるラニ君ですから、かれこれ5年、注射を打ち続けています。
注射を打って産卵を止めるというのは人工的なことであり、これがいいのかどうか、実のところ私にはわかりません。
わかるのは、注射を打たないとラニ君は1、2ヵ月おきにポコポコと卵を産んでしまうということです。
そして、飼い主の私は産卵が終わるまで、「卵詰まりにならないだろうか?」と心配ばかりしてしまうのです。

以前は産卵防止の注射をしてもなんともなかったラニ君ですが、最近になって、注射の後に元気がなくなるというか、具合が悪くなるというか、本調子でなくなることが多くなったように思います。
夫(ネパール人)は、
「注射があわないんじゃないか?ラニ君ももうオバサンなのだから注射しなくてもいいんじゃないの?」
と言い、その事を先生に聞いてみたこともあるのですが、産卵に年は関係なく、でも心配ならばということで、ホルモンを抑える注射と点滴をするようになりました。

2週間前、いつものように産卵防止の注射をしました。
その日は病院が混んでおり、
「今日は大変混んでいるので45分は待って頂くことになりそうです。もし先生の診察が必要でなければ合間に先生がいつもの注射をしてお返ししますが。」
と受付の人に言われ、私も待つのは嫌だったのでこれに了承し、注射だけしてもらい、帰宅しました。

したところ、ラニ君の様子が、どこがどうとはわからないのですが、違うのです。
「ラニ君、元気ないね。」
夫と二人でこう言い、暫く様子を見、暫くしたら回復したので、「よかった、よかった」となったのですが、先週の水曜日辺りから、やはり様子がおかしいのです。
頭を後ろにクルンと回し、羽を膨らませて寝てばかりいるのです。
これまでラニ君がこのような姿で寝ることは滅多になく
「ラニ君、寒いのかな?いつものラニ君と違うよね?」
夫に言うと
「そうだね。ラニ君、具合が悪いのかな?」
とはいえ、これに気づいたのは先に書きましたが水曜であり、共働きの私達はラニ君を病院に連れて行くことはできず、土曜まで様子を見ざる負えませんでした。

土曜、やはりラニ君が頭を後ろにして寝ていることが多いので、本来であれば翌日の日曜日が注射の日だったのですが、病院に電話をし、診てもらうことになりました。
「カルシウム不足と発情が考えられますね。ここのところ卵詰まりのヒトが多く、このヒトも発情しているのかもしれません。カルシウム剤と点滴を打ち、あと肝臓や吐き気に効く粉薬を出しますので、それで様子を見て、明日連絡を下さい。」

診察を受けて、これでよくなると安心して帰宅した私ですが、土曜は元気になることはなく、日曜も元気がありません。
食欲はあるのですが、食べている時以外は頭をクルンと後ろに回し、目を閉じているのです。
いつもであれば、ケージに入れてあるカットルボーン(イカの甲)やインコ用のクッキーを破壊して遊ぶというのに、そういうことも一切しないのです。
「食欲はあるようなのですが、寝てばかりいます。いつもと様子が違います。」
日曜朝一番に病院へ電話をしたところ
「今日一日様子を見て、明日また連絡を下さい。」

明日というのは昨日の月曜であり、たまたま私は休みを取っていました。
朝一番に病院へ状態報告の電話をすると
「すぐに来てください。」

これもいつも書いていますが、我が家から病院までは徒歩だと片道40分弱、自転車だと片道20分。
悪天候でない限り自転車の籠にラニ君を乗せて行きます。
途中石畳のガタガタ道があり、ラニ君にとってはさぞ不快なことと思いますが、
「ラニ君、ちょっとだけ、20分だけ我慢して。」
と言い、私は自転車を走らせます。

病院に着き、ラニ君を袋から出すと、ケージの中はラニ君の餌らしき物が沢山散っていました。
吐いたのです。
「先生、来る途中、吐いてしまったらしくて・・・。」
と言うと、
「あー、胃が悪いのでしょうね。また吐くかもしれませんが、吐き気止めとカルシムや肝臓に効く薬を注射します。これで様子を見て、夕方、連絡を下さい。」

夕方まで様子を見たものの、少しは元気になったような気もするものの、依然寝てばかり。
「ずーっと見ていたのですが、相変わらず寝てばかりです。」
6時過ぎに病院に電話をし、また病院へ行くことになりました。
そして再度注射をし、
「これでよくならなかったら入院してもらった方がいいでしょう。入院はしたことありましたっけ?」
「ないです。家の自分のケージ以外で寝たことはないです。」
「環境の変化が気になりますが・・・、明日、また連絡下さい。」
「先生、発情くらいでこんなになってしまうものなんでしょうか?」
「うーん、中には死んでしまうヒトもいるんですよ。」
「えっそうなんですか・・・

明日というのは今日なのですが、本来ならば仕事です。
ですが、病気のラニ君を置いて出かけることができません。
帰って来たら死んでいたらどうしよう、と心配が増すばかり。
病院の受付のお姉さんに
「みなさん、こういう時仕事はどうされているんでしょうか?家族が具合が悪いとか言って休まれるのでしょうかね?」
などと前日くだらない質問をしたところ、顔なじみの受付のお姉さんは、
「みなさん、家族が具合が悪いと言って休まれているみたいですよ。まさかペットとは言えないようでして。」
「そうですよね。ペットも飼っている者にとっては家族なのですが、『えっ!』て言われちゃいますものね。」
などという会話をし
「家族が具合が悪い。」
と言って私は会社を休み、今日も朝一番に病院へ電話をしました。

「昨日の夜、9時から10時の間に2回吐きました。でも食欲はないわけではなさそうで、吐いた後食べていました。今朝の体重は30グラム。フンはあまりしていません。依然首を後ろに回して寝てばかりいます。昨日よりはよくなったような気もするのですが、よくわかりません。」
と言うと
「食べてはいるんですよね?」
「食べてはいます。沢山じゃありませんが。」
「今日はこのまま様子を見て、明日また連絡することはできますか?」
と先生。
「うーん、先生、そうしたいところは山々なのですが、私もそうそう仕事を休めませんし・・・。」
「明日も同じであれば入院させた方がいいと思いますが、どうでしょう?」
「先生、今日診て頂いて、よくなければ入院というのは・・・・」
「それでもいいですよ。まずは来てください。」
「入院となったら、いつも食べている餌とか、持って行った方がいいですか?」
「お願いします。あと、お渡ししている薬も持って来て下さい。」

今日は台風で強い風が吹いていますが、幸い私の住んでいる所は雨は降っていなかったので、
「ラニ君、ごめんね。ちょっとだけ我慢してね。」
とラニ君に声をかけ、自転車で病院へ急ぎました。
病院へ着くと、ケージの中に餌らしき物が少し散らばっていて、また吐いたようでした。

順番はすぐに回ってきました。
病院では、すぐに病院のケースにラニ君は移され、まずは体重を計ります。
「先生、少しですがまた吐いたみたいです。」
「そうですね。今も吐いていますね。口をモグモグさせていますから。気持ちが悪いのでしょう。このままお預かりします。」
「先生、どの位でよくなりますか?」
「胃は長引きますからね。いつとは言えませんが、吐き気が止まったらなるべく早くお返しします。毎日連絡を下さい。」

行きはラニ君が籠に乗っているので注意深く運転していた私ですが、帰りはその必要もなく、自転車がすごく軽く感じられ、それが悲しく、帰宅すると当然ながらラニ君はいません。
空っぽのケージを見ては淋しくなり、部屋の所々に落ちているラニ君の羽やフンを見てはまた淋しくなり、ぽっかり穴が開いたような感じです。

ラニ君が家にいる時は、仕事から帰って来たら、ラニ君が死んでいたらどうしようと心配になり、入院させたらさせたで、
「24時間診てくれるわけではないし・・・。病院で死んだらどうしよう。」
と、またまた心配をする、どうしようもない私です。

今も、ラニ君のいない部屋で、
「これでよかったのだろうか?こんな人工的なことをラニ君は望んでいるのだろうか?」
自問自答ばかりし、
「ラニ君、ひとりで大丈夫かな?」
と、心配ばかりしている私なのですが、私とは逆に、夫は至って楽天的なのです。

「台風、台風、すごい風!」
と言いながら、明るく帰宅したところを
「ラニ赤ちゃん、入院しちゃったよー。」
幽霊みたいな声を出す私に
「大丈夫、大丈夫、ラニ君、元気になって帰って来ます。今日、ラニ赤ちゃん、ひとりで眠れるかな?ハッハッハ。」
と笑うのです。
対照的だからバランスが取れているのでしょうかね?

今はラニ君が1日でも早く元気に退院するのを祈るばかりです。

rani2.jpeg
1カ月前に夫が撮ったラニ君。
この時は病院で蝋膜を剥いてもらい、若返ったラニ君。


rani1.jpeg
これも夫が撮影。
私も夫も気に入っている写真。
親馬鹿ですが、
「ラニ君の羽、綺麗だねー」と言っております。
早く元気になって、退院してほしいものです。




















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夫の実家(四)  07/31/2018  
『夫の実家(三)』のつづきなのだが、(三)を書いたのが昨年の10月で、実に9カ月たってしまった。
ゆっくり少しづつ書き上げていこうと思うが、その前に私の近況を報告します。

前回、ジプレキサなる薬に苦しまされていることを書いた。
ジプレキサはネットで調べると統合失調症に使われる薬のようなのだが、私の場合吐き気止めとして出されていた。
2、5㎎を夜1錠飲んでいたのだが、吐き気がピタリと止まることもなく、いつの頃からか、言葉でも文章でも表現し難いなのだが、頭がクラクラするというか、頭だけが揺れているというか、頭に不快な症状が出るようになった。
このクラクラは眩暈だと後に病院で知る。

主治医に相談し、減薬することになった。
1錠を包丁で半分に切り、大凡1、25㎎を飲むことになった。
1年以上服用していたので、減薬すると離脱症状がでた。
私の場合は吐き気と食欲不振だったのだが、この離脱症状は1週間弱で自然とおさまった。
全くなくなったわけではないが、頭のクラクラはかなり軽減され、ジプレキサの副作用だったと思われる。

頭のクラクラが軽減されたのは喜ばしいことなのだが、別の悩みも出てきた。
1錠飲んでいた時はぐっすり眠れていたのだが、半分にしたら寝つきが悪くなった。
床について30分以上眠れない時はデパスを飲む。
というのは、睡眠不足だと翌日胃がムカムカするからだ。
どうしてこんな体になってしまったのかと嘆きたくなるのだが、なってしまったものは仕方ない。
一時期よりはだいぶよくなったので、良しとしなければならない。

そして、もう一つ、転職をすることになった。
明日(8月1日)から新たな職場である。
今年初めの1月に転職したばかりだというのに、半年しか勤めていず、こんなにも早く仕事を辞めるのは初めてである。

入社前は長く勤めるつもりであった。
募集に「定年なし、シニア活躍、簡単な仕事」と長く勤められそうな事が書いてあったので、
「ここなら長く働けそう。」
と思ったのである。
ところが、入ってみないとわからないものだ。
確かに私より年が上と思しき人は沢山いたが、長く勤めている人がいない。
そもそもその会社ができたのが5、6年前、私が勤めた支社ができたのが3年位前で、だからといって設立当初からいる人もはいず、1年勤めている人が「長い人」なのである。

そしてその理由は仕事をしてみて、また数ヵ月働いてみてわかった。
まあ、簡単に言えばブラック企業に極めて近い会社であり、毎月数名入社するのだが、それを上回る人が毎月辞めて行く。
私のようなオバサン達は「使い捨てのコマ」なのであった。
「こんな所は長居するもんじゃない、さっさと辞めなくては。」
と思った私は毎日求人ばかり見てしまい、だからブログの更新が滞っていました。

本題の『夫の実家』である。
前回、といってもかなり前なのだが、夫の実家はネパールの首都カトマンズからバスで8時間、徒歩6時間。
村人は1日で着くそうなのだが、私は2泊3日もかかってしまい、着いたそこは、電気もガスも通ってなく、水はどこかにはあるのだが、どこにあるのかわからないような、日本でならさしずめ「秘境」と紹介されてしまうような所だったのである。
(ご興味のある方は、カテゴリー「ネパール」をご覧下さい。)

ひとつ書き忘れていたことがある。
ネパールは乾季と雨季があり、6月から9月は雨期であり、日本で言えば梅雨のようなものなのだが、雨の降り方が違う。
ダーっとスコールのように降ったかと思うとカラっと晴れ、だんだんとスコールのような雨が増えるとガイドブック等には書いてあり、確かにそうなのだが、日本の梅雨のように一日中しとしと降っている日もある。
夫の実家に行ったのは、雨季の前、暑くもなければ寒くもない、5月だったと記憶している。

夕食が終わり、就寝時間になった。
夫の実家には、夫の両親、夫の妹と弟、夫の姉の子供二人の計6人暮らし。
ちなみに夫の姉の子供、即ち夫の姪と甥は、姪が10歳位、甥は5歳位であった。
で、見たところベッドは6台。
夫と私が来たから定員オーバーである。
「私の寝場所はあるのか?」
というのが私の心配事であったが、取り越し苦労であった。
甥は父親と、姪は母親と寝、私と夫にベッドをあけてくれたのだった。

そのベッドは寝返りこそかろうじてうてるが、日本のシングルベッドよりもずっと幅の狭いもので、ベッドといっても木で作った台の上に布団が敷いているだけのもの。
シーツは洗濯されているのかいないのかはわからなかったが、かなり使いこんだシーツであり、掛布団もシーツ同様、かなり使い込んだものだった。

村の朝は早い。
日の出と共に家長である夫の父が起床し、
「朝だぞ。起きる時間だ。みんな起きろ。」
ネパール語も彼らの民族語もわからない私だが、恐らくこのような言葉を発しながら、缶を叩き、皆が起床する。
起床すると、母と夫の妹がお茶を作る。
本来は紅茶にバターを入れたバター茶を作るらしいのだが、私がバター茶を飲めないので、甘いミルクティーを作ってくれ、貴重な砂糖を使わせてしまったのだった。

ゆっくりお茶を飲むと、女達は家から離れた所にある畑に農作業に行く。
7時前である。
「お母さんも妹も、今出かけたら、もう夜まで帰ってきません。ずーっと仕事です。」
と夫が説明し、母と妹と夫の姪は民族衣装のロングドレスのまま、大きな籠を背負って農作業に出た。

そうこうしているうちに甥もどこかへ出かけ、弟もどこかへ出かけ、家に残ったのは父と夫と私の3人になった。
どうやら家の周りの農作業は父親がやることになっているようだった。

家の近くは麦畑になっており、父は当然ながら、夫も農作業の手伝いをすることになった。
村に帰れば仕事はいくらでもある。
人間は農作業、飼い犬は番犬、鶏は卵を人間に提供し、牛や山羊は牛乳を提供し、みんなが働いている。
「私も手伝う。」
と申し出たのだが
「アナタにはできない。」
と夫は言い、
「ゆっくりしていなさい。」
と父は言い、実際農業などやったこともない私は何もできず、ここでは私は動物以下なのであった。

「暇なんだけど。」
と私が言うと
「その辺を散歩すればいい。」
と夫。
それで散歩をしたのだが、遠くまで行きすぎて帰れなくなっては困るし、どこを歩いても似たような簡素な家と畑しかなく、一人で散歩をしていても全然楽しくなく、散歩はすぐに終わってしまった。

ここに来るにあたり、私は本を2冊持参した。
1冊は松本清張の短編小説が沢山入った分厚い本、もう一冊は英会話の本である。
ベッドに寝ころびながら松本清張の殺人の本を読む。
こののどかな村には全く似つかわしくないのだが、この本しかないのだから仕方ない。
気分転換に英会話の本を開くと非常に眠くなり、気がつけばうたた寝をしてしまう。
ほぼ一日中私はベッドの上でゴロゴロしているのであった。

昼近くになると、夫が戻り、昼ごはんの支度をする。
「私も手伝う。」
とは言ったものの、ここでは薪割りから始めなくてならない。
テレビでは見たことがあるものの実物の薪を見たのも初めてならば、斧を見るのも初めてな私に、試してはみたものの薪割りなど到底できなのであった。

薪割りの次は囲炉裏に火をつけるのだが、
「私も手伝う。」
と言うのは止めた。
夫が薪に火をくべるのを見ていたら、ただ火をつけるだけでもコツがあり、私にはできそうもなかった。
今、『こんな所に日本人』というテレビ番組があるが、その当時も似たような番組があり、「秘境で暮らしてみたいなあ。」などと思ったことのある私だったが、ここに来て「私には秘境暮らしは無理だ。」と半日にして確信したのだった。

夫の作った昼ごはんは、ご飯とジャガイモと野菜のカレー味の炒め物である。
ここでは男は力仕事、女は家事と、大昔の日本もそうだったのだろうが、男と女の仕事が完全に分かれていた。

昼ごはんを食べ終えたら、また農作業かと思いきや、父はご近所さんと井戸端会議。
夫はというと、久しぶりに帰った実家だからして、これまたご近所さんとつもる話があるらしく、こちらも井戸端会議。
二人共どこかへ行ってしまい、一人残された私は、自分のベッドでまた本を読んだり昼寝をしたり。
不思議なのだが、ここにいるといくらでも眠れるのであった。

夕方になると、数キロ離れている所に住んでいる夫の兄がやって来て、死んだ鶏の羽をむしっていた。
「うわっ!もしかして、これは・・・」
そこここを歩いて鶏を見て、
「鶏、殺したの?」
と夫に聞くと
「これはうちの鶏ではありません。他の家から買いました。こういう仕事は男の仕事です。」
動物を殺し、皮や羽をはぐのは男の仕事、その後は女の仕事というわけだ。

日が暮れると離れた畑で農作業をしていた女達が、籠一杯に収穫物を入れ帰宅し、休む間もなく夕食作りである。
夕食はチキンカレー。
どうやら客人である私をもてなす為の特別料理で、羽をむしている時は「いいよ、いいよ、肉なんて食べなくても。」と思ったくせに、調理されると現金なもので、美味しいのだった。

今日はここまでにします。


愛鳥ラニ君(セキセインコ)は元気です。
そしてきっちり2週間おきに産卵防止の注射をしに通院しています。
そのかいあってか、長らくラニ君は卵を産んでいません。

「このヒトは熱中症は大丈夫ですね?」
先生が仰り
「大丈夫だと思います。この子が来てから、我が家はこの子の為に24時間冷房つけっぱなしですから。」
「今年も熱中症のヒトが多いです。病院に来る途中、20分程度暑い車内に置いていた方がいましてね。その間に容態が悪くなってしまいましてね。」
「死んじゃったんですか?」
先生は頷かれた。
「先生、この子、人間の飲む、パックのりんごジュースが大好きなのですが、飲ませてもいいのでしょうか?といっても、既に少し飲ませちゃっているのですが。」
「大丈夫ですよ。このヒトの場合、水分を取った方がいいですからね。でも沢山はダメですよ。」

ラニ君が元気だと、それだけで安心です。
人間もペットも、健康が一番ですね。

r-3.jpeg
我が家でラニ君の為に栽培しているあわ穂を食べるラニ君。
市販のあわ穂よりもお好みのようです。

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この時期、必ず食卓にあるのはトウモロコシです。
ラニ君が好きだからです。
ステンレス製の器は夫が作るネパールカレーを入れる為に購入したものですが、
今やラニ君の器になっています。

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この写真、ラニ君は可愛いのですが、背景が悪いですね。
わたくし、写真を撮るのが下手なのです。
ラニ君の後ろの汚い足は夫の足です。
















インコだぁーい好き | ネパール  | TB(0)  | Page Top↑
機能性胃腸症と診断され、かれこれ5、6年になり、今年初めも『機能性胃腸症で終わり、機能性胃腸症で始まる』なんてタイトルでブログを書いている。
過去のブログと重複するが、暫くお付き合い願いたい。

いつも書いているが、私の主な症状は吐き気と胃のムカムカである。
健康な人からすると「なーんだ、それくらい。」と思われがちなのだが、この症状が実に辛い。
一日中ムカムカしているので当然ながら食欲がなく、食べられない。
食べられないから体重は落ち、一番ひどかった時は2週間で5キロ位、簡単に落ちた。
食べられないものだから体はフラフラしており日常生活に支障をきたす。

私はよく『機能性胃腸症コミュニティ』を覗き、時々投稿もする。
この病気、症状は人によって違うのだが、多くの人が胃にまつわる薬と精神にまつわる薬の両方を飲んでいて、私もその口である。
2年位前になるが、それまでかかっていた近所の総合病院の消化器内科では
「もう出す薬がないから精神科にかかれ。」
と言われた。
遡ること10年前になるが、めまいに苦しみ、隣駅の心療内科にはかかっていた。
「心療内科にかかっているので、そこでいいですか?」
と聞くと、
「そこではなく、大きな病院の精神科に行って下さい。」
と言われ、隣駅の大きな病院の精神科にかかった。
そこで出されたのがジプレキサ(オランザピン)である。
ジプレキサ2,5㎎をを夕食後に1錠飲むことになった。

初めはよく効き喜んだ記憶があるのだが、それもつかの間で、だんだんと効き目を感じなくなった。
というより、今思えば、仕事のストレスが強すぎて、薬では対処できない状態だったのであろう。

昨年11月、長らくかかっていた大きな病院の精神科に見切りをつけ、家から徒歩3分のWクリニックに病院をかえた。
というのは、食べられなくなりフラフラになってしまったのだが、だからといって大きな病院の精神科はすぐにかかることができない。
予約が必要であり、予約は常に一杯。
融通がきかないのだ。

Wクリニックは、私が若い頃から風邪をひいたり胃が不調の時によくかかっていた病院だったのだが、今オバサンの私が若い頃であるから当然ながら医師も年を取り、80過ぎのおじいちゃん先生。
こう言っては悪いのだが、おじいちゃん先生は医学の知識があるところでストップしているきらいがある。
だから機能性胃腸症でかかることは避けていたのだが、久しぶりにかかったら、世代交代していた。
おじいちゃん先生は引退され、息子さんが引き継いでいたのだ。

Wクリニックは大先生(おじいちゃん)も話しやすかったが、今の若先生(息子さん)は更に話しやすい。
食べられなくなりフラフラの時に飛び込むようにかかり、これまでの経緯を話したら、点滴をしてくれ
「今、精神科で出されている薬であれば、全部うちで出されるから。」

それまで隣駅の大きな病院の精神科以外にも、電車で1時間半もかかる機能性胃腸症外来のある病院にもかかっていたし、隣駅の漢方内科にもかかっていたし、更に友人からすすめられた接骨院で針も打っていたのだが、よくなるのであればまだしも一向によくならず、時間とお金がかかるだけ。
「それならば近くの病院でいいや。」
Wクリニック1本に絞った。

さて、ここからが本題である。
Wクリニックの先生に転職をすすめられ、昨年12月に思い切って仕事を辞め、転職をした。
今の会社の初出勤は1月22日。
1月のブログに書いた通り、1月は体調が悪く、初出社を延期してもらおうかと考えたくらいであったのだが、
「最初の3日の研修だけ出てくれれば、あとは休んでもいいから。」
と言われ、その言葉で気が楽になったのか無事出社。

これまで私は週5日フルタイムで働いていたのだが、今の会社では週4日と出勤日数を減らした。
というのは、機能性胃腸症の原因がストレスとされており、私のストレスは仕事以外考えられないので、仕事をする時間を減らすのが一番と考えたからだ。
まあ、その代償は給料減なのだが仕方ない。
お金も大事だが体はもっと大事である。

出勤日数を減らしたら時々は吐き気がしたり胃がムカムカすることはあるが、それはナウゼリン(吐き気止め)とリーゼ(軽い安定剤)でなんとかなり、4カ月、体調のいい日が続いた。
油物等、ボリュームのある物は食べられない、というか、吐き気とムカムカが怖いので避けてはいたが、そこそこ食べられるようにもなり、
「もしかしたら治った?」
と喜ぶくらい、体調がいい日が続いたのである。

ところが、吐き気と胃のムカムカがよくなったら、新たな悩みである。
頭がクラクラし、ひどい時にはグラングランする。
が、この症状は今に始まったわけではない。
いつの頃からかは定かでないが、隣駅の大きな病院の精神科にかかっている時からこの症状はあり、
「頭がクラクラするのだが、これは何なのでしょうか?」
と、医師に相談したことがある。
「それは、きっとリーゼの離脱症状だと思います。心配しなくても大丈夫。」
と、医師は言ったが、その返答は腑に落ちないものだった。
というのは、その医師からリーゼは処方されていなかったが、それ以前にかかっていた心療内科でリーゼをたんまり貰っており、頭がクラクラすると、用量を守りながらリーゼを飲み、リーゼを飲むと頭のクラクラは少しらくになっていたからだ。
とはいえ、実はリーゼを飲んでいるとは医師には言わなかった。
医師はプライドの高い人が多い。
自分の指示通りにしないと怒る人が多いからだ。

「先生、口ではどう言っていいのかわからないのですが、頭だけが揺れているというか、頭がクラクラして、酷い時はグラングランして、この症状はなんのでしょう?すごく辛いんです。」
今の主治医、Wクリニックの医院長、W先生に言うと
「それはめまいです。○○さん(私)の場合、メニエールとか三半規管の問題ではないと思うし、私、専門は脳神経なのだけど、脳の問題でもないと思うよ。こういう言い方すると月並みだけど、ストレスなんじゃないかなー?」
「はぁー、やっぱり、我慢するしかないのですね・・・。」
「ところでタンパク質は取っている?」
先生に食事の内容を聞かれ、私のつましい食生活を伝えると
「血液検査上は問題ないけど、栄養失調気味だと思うよ。卵、食べられる?」
「ゆで卵を食べると気持ち悪くなるのですけど、炒り卵にすれば食べられます。」
「あと、何が食べられる?」
「サラダチキンであれば食べられます。」
「じゃあ、少しでもいいから、とにかくタンパク質を食べて。タンパク質不足ってことも考えられるよ。」

それでも安心の為にと耳鼻科受診と頭のMRIを撮ることになった。
Wクリニックには耳鼻科もMRIの設備がないので、紹介状を持って近所の総合病院に行く。
機能性胃腸症と診断され、大きな病院の精神科にかかれと言われた病院である。
家から近くて設備が整っているのはその病院だけなので仕方ない。
で、結果はというと、異常無し。

つい最近、6月初旬のことである。
前回、愛しのラニ君(セキセインコ)の具合が悪くなったことを書いたが、その時仕事を休んだので、
「まあ、仕事に行かなくていいのだから飲むのやめよう。」
それまで仕事へ行く前日の夜に飲んでいたジプレキサを飲むのをやめた。
すると、頭のクラクラがなく、久しぶりに頭がすっきりしている。

ラニ君の具合もよくなったので、いつものように日曜の夜にジプレキサを飲み、月曜の朝を迎えた。
いつものように頭がクラクラする。
「もしかして、このクラクラはジプレキサの副作用?」
初めてジプレキサを疑った。
そして翌日からジプレキサを飲むのをやめてみたら、頭のクラクラが取れ、ジプレキサの副作用だと確信した。

ジプレキサを止めて5日目の夜、胃がムカムカする。
丁度金曜の夜で、夫(ネパール人)の為に鯵のフライを買い、
「美味しいから、アナタも少し食べてみて。」
と言われ、鯵のフライを二口程食べた日であった。
「油断してフライなんて食べたのがいけなかった。もう二度と食べない。」
と心に誓い、Wクリニックでもらっている胃薬を飲んだ。

翌日土曜も胃がムカムカしたが、その日は月1回のWクリニックへ行く日だった。
「先生、勝手にやめたらいけないのでしょうが、ジプレキサを飲むのをやめてみたら、頭のクラクラがなくなったんです。もしかしたらジプレキサの副作用だったんでしょうかね?」
と聞いてみたら
「それもありかもしれないねー。じゃあ、ジプレキサをやめてみましょう。」
「でも先生、ジプレキサを飲むとよく眠れて、これも勝手に飲んでしまったのですが、ジプレキサをやめたかわりに、仕事の前日に前に頂いて余っていたデパスを飲んだんです。眠れないと仕事の時辛いので。」
と言うと
「デパスで眠れるのであれば、眠れない時だけ頓服で飲んでもいいですよ。」
「今、ちょっと、ムカムカするんですけど、多分、鯵フライを食べたからじゃないかと思うんですよね。」
「鯵フライかー。沢山、食べたわけじゃないんだよね?」
「たった二口です。」
「普通の人であれば、二口位、どおということはないのだけどね。」

こうしてジプレキサをやめることになったのだが、翌日日曜も吐き気がし、前日よりムカムカする。
「鯵フライ二口でこんなに吐き気がするものなのかな?」
と思いながらも、ネットでジプレキサを調べた。
すると、ジプレキサの離脱症状に吐き気があることがわかった。

吐き気止めのナウゼリンを飲んでもムカムカはおさまらず、月曜朝、またWクリニックへ行く。
「先生、度々すみません。鯵フライのせいかと思っていたんですけど、もしかしたらジプレキサの離脱症状でしょうかね?吐き気がして、気持ち悪くて、気持ち悪くて。」
とすがるように言うと
「あー、出ちゃったかー。それ、ジプレキサの離脱症状でしょうね。じゃあ、ジプレキサを初めの2週間は日、月、水の夜だけ飲んで、次の2週間は日、水にして、これで様子を見ながら、断薬を目指しましょうよ。」
「先生、今日はどうしたらいいでしょうか?今が辛いんです。」
「今日は帰ってすぐジプレキサを飲んで、もう寝て下さい。」
「夜は?」
「夜も飲んで下さい。」
「仕事はどうしたらいいでしょうかね?」
「その状態じゃ、行くの無理でしょ。体あってなんだから、もう休みなさい。」

先生に言われた通り、月曜は昼と夜、ジプレキサを2錠飲んだら吐き気はおさまったが、火曜日は朦朧としてしまい、先生が仰った通り、仕事どころではなかった。
おまけに食欲がなく、ろくに食べていないのでフラフラである。

ジプレキサは食欲が出る薬とされているが、私の場合、ジプレキサを飲んだからといってモリモリ食欲が出るということはない。
薬の効き方も副作用も離脱症状も、個人差があるということがわかり、またWクリニックのW先生は今までかかった病院の中で一番親身に話を聞いてくれるいい先生で、私はこれからもWクリニックにかかるつもりだが、医師といえども自分が飲んでいるわけではないので、先に書いたように個人差のある薬の副作用や離脱症状はわからないのである。

食欲がなくフラフラなので、木曜(今日)、またWクリニックへ行く。
「さて、どうしよう。」
先生は頭を抱えられた。
「僕のポリシーとしては薬は増やしたくないんですね。ステロイドという手もあるけど、それを使うのは最終手段で、今は使いたくないしなー。」
「先生、昨日の夜は本来ならジプレキサを飲む日だったのですが、頭がクラクラするのが嫌で、でも吐き気も怖いので、ジプレキサを半分に切って飲んでみたんです。」
「半分にしたらどうですか?」
「吐き気はなくて、頭のクラクラも1錠飲んでいた時よりはずっとらくなのですが、ただ食欲がなくて。ろくな物を食べていないのでフラフラです。」
「じゃあ、ジプレキサを半分にして、毎日飲んでみましょう。1週間それで様子を見て、1週間後に状態を教えて下さい。」

飲めば頭がクラクラするし、飲まなければ吐き気がし、私にとってジプレキサは『魔の薬』である。
薬を飲むのに慣れ、薬を飲むのが当たり前、薬なしでは日常生活がままならない私だが、
薬って、怖い!


ラニ君は元気です。
気がかりなのは、今週日曜、いつもの産卵防止の通院日なのですが、私の体調が悪いので私が病院へ連れて行ってあげられるかどうかです。
「ワタシが行きます。」
と夫が言うので、夫にお願いするつもりですが・・・。

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食卓の上でトウモロコシを食べるラニ君

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ラニ君の好物はいつもこの器に入れ、ラニ君は器のふちに立って好物を食べます。
ちなみラニ君の好物は、
茹でたトウモロコシ、スイカ、りんごです。


















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