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夫の実家(三)  10/15/2017  

『夫の実家』のつづきである。

夫の村は、段々畑の間に家がポツンポツンと建っている、山と畑しかない所だった。
雪の帽子をかぶったガウリサンカールという7千メートルを超える山がくっきりと見え、山好きにとっては素晴らしい場所なのかもしれないが、残念ながら当時の私、山に興味がなかった。
夫の説明を聞いても
「ふーん、あっ、そう。」
そっけない返事しかできない。

夫の家の前には大きな棒が立っており、棒の先には旗が垂れ下がっていた。
夫曰くこの旗は仏教徒の象徴。
そして村で一、二を争う金持ちの家はというと、何をもって金持ちというのか私にはわからないのだが、確かに隣、とはいっても50メートル位先なのであるが、隣の平屋の家に比べれば夫の家は3階建てで大きい。
が、そこはネパールの山奥である。
文章力がないのでこの家をどう表現していいのか思いつかないのだが、日本の立派な農家のお宅の横にある農機具等を置いている小屋のような感じとでも言おうか。

1階は居間。
靴と靴下を脱いで入るのだが、脱いだ先は床でもなければ畳でもなく、土である。
日本で言えば土間だ。
土の上を裸足で歩くので、足の裏は常に真っ黒、というより灰色である。

居間の真ん中には囲炉裏があり、囲炉裏のまわりにはわらで編んだむしろが敷かれている。
囲炉裏の傍には、多分お父さんが作ったのであろうが、木の棚があり、食器が並んでいた。
1階の居間にあるのはそれだけである。
おっと、もうひとつあった。
ニワトリがいた。
産卵したばかりのニワトリが囲炉裏のそばで卵を温めており、まさに『日本むかし話』を思わせる。
(若い人は知らないでしょうが、昔、『日本むかし話』というアニメがありました。)

2階は家族全員の寝室だった。
ベッド、といっても木の台の上に布団を敷いただけのものなのだが6台が置いてある。

3階は天井が低く屋根裏部屋のような感じであった。
私が行った時には何もなかったが、作物を蓄える場所だそうだ。

というわけで、この3階建ての家はシンプルすぎるくらいシンプルで、個室もなく、従ってプライベートもなく、そして電気、ガス、水道も通っていない。

次は家の外の説明になるが、家の前には小屋があり、小屋の中には自家製の酒があった。
あとでわかったのだが、この小屋は農家の諸々の作業をする場所でもある。
そして小屋の脇に、私にとって一番重要なトイレがあった。
ドアはなく、目隠しのように布切れがペランと垂れ下がっていた。
便器はなく、穴があるだけ。
日本で言えば、昔、肥溜めというものがあったが、といっても現在オバサンの私とて肥溜めなんて見たことがないのだが、多分肥溜めと似たようなものだと思われる。
水洗ではなのでトイレの中は悪臭が漂ってたが、それでもないよりはマシである。

先に書いたようにトイレの前には布が下がっているだけなので、私が入っている時に誰かが布をめくることもあれば、その逆、誰かが入っている時に私が布を開けてしまうこともあった。
そんな時は「あっ、ごめん。」という感じで、なんとなく一瞬気まずい雰囲気は流れた、と思ったのは多分私だけであろう。

そして私が気になったのはよそのお宅である。
よそのお宅にはトイレがないらしく、どうしているのかと夫に聞くと
「こーんなに広いんだ。トイレの心配なんていらない。どこでもトイレだよ。」
夫は笑うだけ。

家の前には畑が広がっており、黒と茶色の毛が混じった大きな犬、牛、水牛、ヤギ、そして放し飼いのニワトリが50羽位歩いている。
「どこまでがアナタの家の土地なの?」
と夫に聞くと
「あっちの方までぜーんぶワタシのうちの土地です。土地はここだけでないです。他の所にもワタシのうちの大きい畑があります。動物もここにいるのはちょっとだけ。他の所に動物の家があります。」
説明をする夫はなんだか鼻高々なのだが、そんなことよりも私は風呂に入りたい。
なにせ18時間も歩いたので全身汗だくで気持ち悪く、夫もそうだったようだ。

夫はどこからかバケツに入れた水を持って来て、家の前にある小屋の前でパンツ一枚になった。
そして頭の上から水をかぶり、
「あー、フレッシュ!」
と言う。
「水でいいから私もシャワーしたいのだけど。女の人はどこでシャワーするの?」
と聞くと
「わからない。」
と夫。
「なんでわからなの?自分の家でしょ!」
と言うと
「ワタシは女の人ではありません。だからわからない。男は簡単。どこでもシャワーできます。」
と笑う夫ではあったが、とはいえ私にシャワーを浴びさせないわけにはいかないと思ったようだ。
水を入れたバケツを持ってて、次に大きな簾のような物を持って来た。
家の前に広がっている野っぱらに簾の両端を少し斜めにして立ててみたら、簾は危なげながらも立ち、なんとなく目隠しらしきものができた。
「この中でシャワーをすればいい。」
と夫。

ネパール人は服を着たまま水浴びをするようだが、日本人の私は全部脱がないと風呂に入った気がしないので、素っ裸になり、簾の中で柄杓のようなものでバケツの水を汲み、汗を流した。
すると突然ビュンと強風が吹いた。
と同時にめかくしの簾がバタンと倒れた。
素っ裸の私はというと、急いで持っていたファイスタオルで前だけ隠し、片手で簾を立てようと試みるも、簾が重くて片手ではどうにもならない。
「ちょっと~、来てよ~。倒れたよ~。」
夫を呼ぶも、夫はどこかへ行ってしまっており、来る気配がない。
仕方なく、簾を背中に乗せ、バケツの水を頭からサバっとかけ、水を拭うのもほどほどに、そそくさと服を着た。
私が村で水浴びをしたのはこの1回だけ。
この村の女性はどこで体を洗っているのか、未だに謎である。

水浴びを終え、家に戻ると妹が干した鹿肉と野菜を入れた雑炊を作ってくれた。
美味しかった。
ネパール語で「美味しい!」と言うと、
妹も父もどんどん食べてと言い、私もこれが夕食なのだと思い、満腹になるまで食べた。

日が暮れると農作業を終えた家族がぞろぞろと戻って来て、この家の住人が把握できた。
父母、妹、弟、姉の子供2人の合計6人。
そしてこの日は近くに住んでいる夫の兄が来、近隣の男が3人来た。
どうやら外国人の私を見に来たらしく、1階の土間のような居間は人でいっぱいになった。

村人達は私を見て、
「私達とそっくりだ。この村の服を着ればネパール人だ。」
と、私の容姿を見て驚いていた。
恐らく私はこの村に来た初めての外国人で、彼等が日本人を見るのは初めてだったに違いない。
夫が私も仏教徒だと話したらしく、昔も今も仏教のことなどろくに知らない私だが、初七日や四十九日の事を夫を介して話すと、
「我々と同じだ。」
とまたまた村人達が驚く。

男達が話ている間、女達は夕食を作り、ご飯、野菜のカレー、豆のスープが出来た。
「さあ、食べて、食べて。」
まず私にふるまわれたのだが、今さっき雑炊をたらふく食べたばかりだ。
腹は減っていない。
「さっきのが夕食じゃないかったの?」
と夫に言うと
「さっきの!あれはおやつだよ。」

その日は夜10時頃まで、夕食を食べながら自家製の酒を飲み、夫と夫の家族と村人達は盛り上がっていた。
ネパール語がわからない私はというと、ガブガブ酒を飲み、卵を温めているニワトリを触ったりしていたのであった。


今日は愛鳥ラニ君の2週に1度の通院日でした。
前回2週間分の漢方が出されたので、
「薬はどうでしたか?」
と先生が仰る。
「あのー、薬入りの水を飲んでいるところを1度も見たことがないんです。そもそもこの子が水入れの水を飲んでいるところが見たことがないもので・・・」
と答えると、
「まあ、飲んでいることは確かです。今日のこのヒトのフンは湿っていて、とてもいいです。次回のフンを見て、薬を飲むかどうか決めましょう。」

清算の時、
「髪に白い物がついていますよ。」
受付の人に言われる。
「あっ、それは多分この子のフンです。私、よく頭にフンをつけて歩いているようでして。」
受付の人に大笑いされ、髪を触ってみたら、やっぱりラニ君の乾いたフンであった。
それを見て
「かっわいいー
フンまでも可愛いと思う私。
最近のラニ君は夫や私を後追いするほど人間にベッタリで、可愛くて可愛くてたまりません。
親馬鹿ですみません。

スキャン_20170928
ピンボケですが、夫の村の家の写真が出てきたのでスキャンしました。

スキャン_20170928 (2)
夫の村の家で飼っている犬。
夫の家の前は野っぱらで、家一軒すらありません。


IMG_20171009_093809.jpg
今、ラニ君の好物のあわ穂をベランダで栽培しています。

IMG_20171015_170910.jpg
頭の上に乗るのが好きなラニ君。
いつも前髪にぶら下がり、その時にフンをするのでしょうね。
会社でも「白いモノがついているよ。」
と指摘されたことが2度あります。(笑)


















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夫の実家(二)  10/04/2017  
前回の昔話のつづきである。
手術をし、欲しい物も買った夫の妹が村へ帰ることになり、夫と私も同行することになった。
というより、当時23歳ではあったが、カトマンズでの妹は子供のようであった。
誰かと一緒でなければ市内を歩くこともできなければ、バスに乗って村へ帰ることもできないのだから。

実家のある村に行くにあたり、私が夫から聞いていたことは2点。
ひとつは、カトマンズからチャリコットまではバスで8時間かかり、チャリコットから実家までは歩いて6時間かかる。
もうひとつは、夫の父は過去に村長をしていたこともあり、夫の実家は村では一、二を争う金持ちということだ。
ついでに村で唯一トイレがある家だとも聞かされていた。

私達3人は午前8時頃のチャリコット行きのバスに乗った。
テレビ番組で見るアジアの田舎道を走るバスは、大抵「一体何年前のバスなんだ!」と思うくらい古く、道は悪路だ。
チャリコット行きのバスも御多分に漏れずオンボロバスがガタガタ道を走る。
何度もネパールを訪れていた私は、ボロバスとガタガタ道には驚くことはなかったが、気がかりだったのはトイレである。

話は少し変わるが、カトマンズからバスで7時間程の所にポカラという町がある。
アンナプルナトレッキングの入り口であり、そこに行く旅行者は多い。
ここを走るバスもボロバスなのだが、一応ツーリストバスとなっていて、2時間に1回、トイレ休憩がある。
そのトイレがどんなトイレかは機会があったら書こうと思うが、ポカラと違い、チャリコット行きのバスに外国人旅行者はいない。
11時頃、昼食休憩が1度あったが、その後、バスが止まる気配がない。
そして私はというと、トイレが近いときた。
「ねえ、このバス、トイレ休憩ないの?」
夫に聞くと、
「わからない。多分、そのうち止まるよ。」
と夫は言うが、多分では困るのである。
なぜって、今、まさにトイレに行きたいのだ。

そのうちバスが止まることを願って、1時間、トイレを我慢したが、もう限界。
「ねえ、トイレ、行きたいんだけど。もう我慢できないよ。」
夫に言うと、夫が運転手の所に行き何かを言い、ほどなくしてバスは止まった。
止まったはいいが、そこにトイレはない。
片側は崖、もう片側は野っぱらである。
私と夫だけがバスを降り
「さあ、どこでもトイレだ。好きな所でしろ。」
夫が言う。
ここで用を足さないと次はいつになるかわからない。
仕方なく野っぱらに腰を落とす。

バスは1時間遅れ、9時間かかってチャリコットに着いた。
ここから歩いて6時間なのだが、既に夕方である。
夜道を歩くのは危険だし、私には無理だと夫が言い、その日はチャリコットに宿泊することになった。
ベッド以外何もない簡素な宿である。

20年以上前のことだから、翌朝何時に起き、何時に歩き出したかは覚えていないが、私達のことだから7時過ぎに起き、ゆっくり朝食を食べ、8時過ぎに宿を出たに違いない。

まずはチャリコットの町中を歩く。
小さな店が沢山あり、田舎町と言えども賑やかだった。
そこで妹が砂糖、塩、油、あとチウラという乾燥した米を買う。
「ワタシの村にはなんでもある。買うのは砂糖と塩と油だけだ。」
と夫が解説する。

1時間程歩くと、店がなくなり民家だけとなり、民家もなくなると、石と岩だらけの急な下り道となった。
足元を見ながら、慎重に足を運ばないと転げ落ちそうなくらい急な道である。
そこを靴はスニーカーだがロングドレスの民族衣装を着た妹はピョンピョンと跳ねるように下り、あっという間に姿が見えなくなった。
カトマンズでオドオドしていた妹はチャリコットでは堂々としていた。
私はといえば何度も足を石にとられながら、
「あー、もう嫌!なんなんだよ、この道!」
文句しか出ない。

半日かかって、石と岩だらけの急な下り道を降りた。
降りた時、上を見上げ、
「今、降りたということは帰りはこの道を登るのか・・・。」
憂鬱になった。

下り道が終わると、平坦な道が続いた。
ずーっと先を歩いていた妹が男性と女性の若いカップルと一緒に私と夫が来るのを待っていた。
そのカップルは夫婦で、同じ村の人だという。
しかも女性は親戚であった。
色が白く、ヨーロッパ人のような顔だちをしており、とても我が夫や妹と同じ一族とは思えないほど綺麗な人だった。

この夫婦は各々大きなリュックを背負い、更に各々大きなバケツを頭に乗せ、バランスを取っていた。
バケツの中を見せてもらうと、インスタントラーメンがびっしり入っており、チャリコットに買い物行き、その帰りとのことだった。

途中小さな食事処のような店が1件あった。
そこで遅い昼食を取ることになった。
「ワタシの村には大きな川があり、魚が食べられる。」
事前に夫から聞かされており、確かに大きな川があり、私は魚を食べることを楽しみにしていた。
というのは、ネパールには海がなく、魚といえば川魚。
カトマンズに魚がないわけではないのだが、新鮮な魚はなかなか手に入らず、私は魚が食べたくてしょうがなかったのだ。

ところが、その日は魚が取れなかったらしく、あるのは味のないドーナツのような揚げたパンだけ。
ないものは仕方がない。
5人で揚げパンを食べる。

腹ごしらえをしたらまた歩き出す。
妹も早ければ、大荷物を持った夫婦も歩くのが早く、3人の姿はあっという間に視界から消えた。

歩き出して約8時間、午後5時頃、小さな店が5、6件ある所に着いた。
「やっと村に着いたんだね。」
私が喜ぶと
「まだだ。」
と夫。
「ここは私達の村から一番近い町です。私達の町はどうですか?」
と妹が言う。
どうと聞かれても答えが見つからない。
これが町ということは、これから行く村はどんな所なんだと不安しかない。

5、6件しかない店のうちのひとつに入り、今夜はここに泊まることになった。
店は米、砂糖、塩、ビール、石鹸等、日常品を置いおり、夫婦と十代と思しき女の子が2人いたと記憶している。
表は店、店の奥が店主家族の家であり、テーブルとベッドが何台かあった。
妹も親戚の若夫婦もこの店の人とは親しく、その親しさはまるで家族であった。
夕食はダルバートというネパール人が毎日のように食べている定食を食べ、私と夫と若夫婦の旦那さんはビールも飲んだ。
当時の私は今のように機能性胃腸症に苦しんではいず、何でも食べられ、お酒も飲めたのである。

ビールを飲むと、元々トイレの近い私は、一層トイレが近くなる。
トイレは外にあった。
日本で言えば和式トイレ。
ネパール人はトイレットペーパーを使わず、水で洗い流すので、便器の横に水の入ったバケツがあった。
部屋と外のトイレとの間にはドアがあり、鍵がかかるようになっていて、なんだか嫌な予感がした。

お腹も満たされ、村人達の会話も終わり、就寝時間になった。
部屋とトイレの間にあるドアが閉められ店主は鍵をかけた。
「え鍵かけたら、夜、トイレに行きたくなったらどうするのよ!」
毎度トイレの話題で申訳ないが、トイレの近い私はトイレのことばかり心配してしまう。

妹と若夫婦は店の人の家、つまり今食事をとった部屋の何台かのベッドで寝ることになり、夫と私はというと、店を出、店の横にある階段を上がり、簡素なベッドが2台あるだけの部屋に案内された。
私達を案内すると、店主は下へ降りて行き、店の扉を閉めた。

そして困ったことになった。
ビールがまわった体は、さっきトイレに行ったばかりだというのに、すぐに尿意を催す。
私達の部屋にトイレはなく、外にも勿論トイレはない。
「どうしよう。トイレに行きたいよ。」
夫に言うと
「ワタシも行きたい。」
と夫。
しかし店主を起こすわけにはいかない。

すると、
「水のボトルを出せ。」
と夫が言う。
私達は各々1.5ℓの水を持っていた。
夫は自分のペットボトルに残っていた水を私のペットボトルに移し、ひとつのボトルを空にした。
そして持っていたナイフでペットボトルの上方部分を切り、
「ほれ、これを使え。」
小さなおまるを作った。

今では夫になった男だが、この時はまだ夫ではなく、狭い室内でペットボトルおまるで用を足すのは恥ずかしい。
とはいえ、恥ずかしがっている場合ではない。
私も夫もペットボトルおまるで用を足し、夫はガラッと窓をあけると、あろうことか、おまるの中身を外に投げ捨てた。
「ちょ、ちょっと、そんな事していいの!」
私が驚くと
「真っ暗だし、こんな時間に歩いている人は誰もいないよ。朝に、おしっこの入ったこのボトルを持って下に行く方がよほど恥ずかしいよ。」

カトマンズでの朝の一杯は甘いミルクティーで始まるが、村はバター茶で始まる。
その頃よく読んでいた貧乏旅行記では、
「薄いスープのような感じで、味は悪くはない。」
と書かれていたが、このお茶をスープと感じた人の味覚がある意味羨ましい。
私にとっては油の浮いた、スープにしては全く塩気のない、つまり、すごくまずいお茶であった。
せっかく出してくれたのだから全部飲まないとわるいとは思ったが、どう頑張っても半分も飲めず、夫に飲んでもらった。
夫はという、夫もこのお茶は嫌いらしい。
しかし残してはわるいと思ったのであろう。
夫は一気に飲み干した。

店主は少しだけ英語が話せた。
ここから村まで何時間かかるのか聞いたら
「1時間くらい。いや2時間くらいかな。」
と言った。
この日、何時に出発したのかはやはり覚えていないが、恐らく8時過ぎであろう。

店を出ると、いきなり急な登り道であった。
辺りには木しかない。
1時間登り、2時間登る。
「まだ?」
夫に聞くと
「まだだ。」
妹と若夫婦は、前日同様、3人共かなり重い荷物を持っているというのにスタスタ行ってしまい、姿が見えない。

ふと時計を見たら、1時にならとうとしていた。
登り道は終わり、平坦な道になり、民家が見えてきて、先を歩いていた妹と若夫婦が私達を待っていた。
「着いたの?」
私が言うと
「まだ。」
と夫。
妹、若夫婦、夫はネパール語で何か話し、一件の民家に入る。
民家に入ると、妹と若夫婦と夫の前にどんぶりに入った茶褐色のどぶ水のようなものが出てきた。
「何これ?」
と聞くと
「酒。」
と夫。
日本で言えばどぶろくだと思う。
「ねえ、私にはないの?」
と言うと、
「アナタがこれを飲んだら、たちまち下痢になるよ。だからダメ!」

皆、空腹であり、ネパール人達は酒で腹を満たすことにしたのだ。
私はというと、水を飲むしかない。

酒を飲み終えたら、また出発である。
やがて民家はなくなり、田んぼ、畑、木だけの風景になった。
「あー、なんでこんな所に来ることになったのだろう。私だけカトマンズで留守番をしていればよかった。」
歩きながら何度もこう思った。

そして、午後4時頃、やっと夫の村に着いた。
1、2時間どころか、8時間近くかかり、トータルで15時間以上歩いたことになる。
私がいなければ、恐らく6時間で着いたのであろう。
村人の足と私の足は違うということがわかった。

それまで2泊3日程度の軽いトレッキングの経験は何度かあり、夫が日本に来てからは富士山にも登ったが、夫の実家が一番辛くキツイ道のりであった。

つづきは次回。


先週日曜は、2週に1度のラニ君の通院日でした。
ここ数ヵ月ラニ君は産卵防止の為のホルモン剤と点滴をしていたのですが、
「点滴は今回でやめてもいいように思います。」
と先生。
「インコの寿命は7、8年と前にお聞きしましたが、ネットを見ると10歳位の子もいるのですね。」
私が言うと、
「大体5~8歳なのですが、説明する時は7歳と言っています。10歳は・・・稀ですね。」
「この子、11月で5歳になるので、ということはあと少しってことになりますね。」
「このヒトが長生きできるかどうかは、水分をどれだけちゃんと取れるかにかかってきますね。」
「この子が水を飲んでいるところはたまにしか見ません。どうしたらいいのでしょう?」
と聞くと、
「見ることがないだけで飲んでいることは確かなんです。水分を取りたくなる漢方を出しますので、それを試してみて下さい。」
というわけで、ラニ君、漢方を飲むことになったのですが、水に溶かす薬なので、果たして飲んでくれているのか?

寿命が7歳ということは、ラニ君と一緒にいられるのはあとたった2年ということになります。
「そんなのイヤラニ君のいない生活なんて考えられない。」
と悲しくなる私ですが、いつかはお別れがくるのでしょう。
ラニ君が類まれな長寿インコになってくれることを祈るばかりです。


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カーテンによじ登るのも好きなラニ君です。
放鳥時はいつも一人遊びをしています。


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エアコンのすみに入って遊ぶのも好きです。
でもヒヤヒヤするので、ラニ君がエアコンの後ろに入ろうとする度に
「ラニ君、ダメー!」
つい声を荒げてしまう私です。

















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夫の実家(一)  09/23/2017  
『世界の村で発見!こんなところに日本人!』という番組を時々見る。
これを見る度に、もし私が夫(ネパール人)の実家に住んでいたら、もしかしたら取材されていたかもと思ったりする。
これから書くことは20年以上前のことで、まあ、昔話である。
暫くの間、昔話を綴りたいと思う。
が、私のことだから途中で飽きて中断することも大いにあり得る。


夫と私はネパールで知り合った。
私が旅行者、夫がトレッキングガイドで、まあ、よくある出会い方である。
その後、私は日本とネパールを、ビザが可能な限り行ったり来たり。
当時はまだパソコンが普及していなかったので、日本にいる間は週に1度の文通でやり取りをし、3年の交際期間を経て結婚をした。
こう書くと大恋愛のようだが、まあ、「大」がつくかは別として恋愛をしていたのだと思う。
オバサンになった今となっては「若いっていいなあ。」
と過去をなつかしむばかりだ。

トレッキングガイドをしていた夫はネパールの首都カトマンズに住んでいたのだが、実家はチャリコットという村である。
チャリコットがどこにあるかは、興味のある方はググッて頂ければと思うが、エベレスト方面にある。
チャリコットの実家では農業をしており、自給自足である。

夫の家族構成は、
父:チャリコットで農業をしている。現在も健在。
母:夫と共にチャリコットに住んでいたが、3年前、癌で亡くなった。
兄:妻と子供3人がおり、チャリコットで農業をしている。父とは同居してはいず、スープの冷めない距離に住んでいる。
姉:父の弟の子供らしく、本当のきょうだいではないのだが、幼い頃からきょうだいとして育っている。親の反対を押し切って結婚したらしく、同じ村でありながら遠くに住んでいるとのこと。子供は3人いる。
妹:夫より4歳年下。20数年前はチャリコットで両親の手伝い、すなわち農業をしていたが、結婚し、今は首都カトマンズに住んでいる。子供も2人いるそうだ。
弟:夫より10歳以上年下であり、私が出会った20数年前は高校生だった。村とカトマンズを行ったり来たりとブラブラしており、今はマレーシアに住んでいる。未だに独身だそうだ。

というわけで、我が夫は5人きょうだいの3番目であり、次男である。

私がネパールにいる時の住まいは夫の賃貸の部屋である。
そこへ父親と妹がチャリコットからやって来た。
当然ながらカトマンズに出てきた時の宿泊先は夫の部屋である。
外国人の私の存在に驚いたのかどうかは表情からは読み取れなかったが、父と妹は病院にかかる為に上京した。
父は胃の調子が悪いらしく、妹は舌が長いのか短いのかはわからないが、発音に支障をきたすらしく、それをなんとかしたいとのことだった。
ちなみ当時の私と夫との意思の疎通は、夫は職業柄英語が話せたが、私の英語ときたら英会話初級レベル。
程度の低い英語と夫の片言の日本語を交えての会話であった。
そして夫の父と妹とはというと、彼等はネパール語と彼等の民族の言葉しか話せない。

ここで脱線するが、ネパールは多民族国家であり、夫の民族名はここではお伝えできず、というのは夫の場合、民族名=苗字だからであり、仏教徒ということだけ書かせて頂く。

話は戻り、私のネパール語はというと今も昔も英語以下、正真正銘の片言である。
彼等とは専ら夫を介して会話をするしか方法がなかった。

まずは胃の不快を訴える父を病院へ連れて行くことになり、日本で言えば大学病院を受診する。
大学病院といえどもそこはネパール。
大きいだけで、物凄く汚い病院であった。
日本でも大学病院は待つのが当たり前だが、ネパールでの待ち時間は日本の比ではない。
朝一番に並んでチケットを貰うのだが、待てど暮らせど順番がまわってこない。
順番が回ってきたのが午後3時過ぎだ。

待っている間に、ちょっとした事、というより大事件が起こった。
父は病院にかかる為に村から日本円にすると2万円を持って来ていた。
村人からしたら大金である。
道中盗まれないように洋服の内側にポケットを作り、ご丁寧にポケットの口も全部縫い、いざお金を使う時にどうやって出すのだと私なんぞは思ったが、とにかく大事に持って来たのだ。
それが、縫い口だけが綺麗にカミソリで切られ、2万円が消えていた。
大学病院でスリにあったのだ!
ネパール人の父より日本人の私を狙う方がよほど金になると思うのだが、
「病院には村人を狙うスリが多いんだ。日本人のアナタより村人を狙う方が簡単なんだよ。村の人は何もわからないから。」
と夫は言い、当事者の父は綺麗に切られた服を見て「やられちゃったよー」という感じで笑うばかり。
まあ、笑うしかなかったのかもしれないが。

流石に20年以上前なので、病院に何回足を運んだかは忘れたが、父は胃カメラをし、恐らく胃炎か胃潰瘍だったのだろう。
薬を処方され、一番気がかりだった胃の病気は無事終了となった。

大学病院の次は歯医者である。
せっかくカトマンズに来たのだから悪いところは全部治しておこうという考えである。

ネパールの歯医者はわかりやすい。
カトマンズの中心地、アサンやインドラチョークという店が立ち並ぶ賑やかな所へ行くと、歯の絵がかかれた看板が沢山あり、何も知らない旅行者でも歯医者だと見当がつく。

まず治療を受けたのは父であり、夫、妹、私も一緒に診察室に入る。
20年以上前のことなので、日本のような歯を削る器具や麻酔があったかどうかは忘れたが、驚いたのは父が口をゆすいだ時である。
水の入ったペットボトルが渡され、それで口をゆすぐと、床に置いてあるバケツの中にペッと吐き出す。
そのバケツには父の前に診察を受けた人の吐き出したモノも入っており、いかにもネパールらしいのだが、初めて目の当たりにした私はあっけに取られてしまった。

父の次は妹である。
父と同様治療を受けたのはいいのだが、前歯の1本に金をかぶせたいと言い出す。
前歯が虫歯になっているのならともかく、どこも悪くない。
なんでも村ではニッと笑った時にピカッと光る金の前歯が女性の間で流行っているらしく、妹も村の流行りに乗りたかったのだ。

歯医者から出た妹の前歯は金で光っていた。
私の手鏡で何度も光るを金を見て、妹はご満悦のようであったが、当時23歳の妹は、私から見たら一気に20歳老けた感じがした。

歯医者が終わったところで、2人がカトマンズに来て2週間位たっていた。
治すところを全て治した父は暇を持て余し、「村に帰る。」と言い出した。
とはいえ、まだ妹の舌の病院もあるし、妹はひとりでバスに乗って村に帰ることができない。
それに妹はもう少しカトマンズにいたいと頑張る。
父は夫に妹を病院に連れて行き、村まで連れて帰ること、そして私も是非一緒に村に来てくれと言い、先に村へ帰ってしまったのだった。

次は、先に書いた妹の舌である。
これも、聞いた限り、別にわざわざ治療する必要はないのではないかと思うのだが、妹が「したい」というので仕方がない。
今度は大学病院ではなく、日本で言えば私立の総合病院へ行く。
ここでも当然ながら長時間待った。
その部位をなんというのかはわからないが、舌の裏側を少し切る手術をすることになった。
どんな手術なのかは手術室には入れないのでわからなかったが、手術は短かったと記憶している。
問題はその後である。
帰宅して数時間たち、麻酔が切れたのであろう。
「痛い、痛い」と妹が子供のように声を上げて泣き出した。
日本の病院であれば、痛み止めを処方するのが普通だが、ネパールの病院は先のことまで考えてくれない。
「自分でしたいといったのだから我慢しろ!」
夫は泣きじゃくる妹に怒るのだが、麻酔の切れた妹はあまりの痛さに我慢できず、ますます泣く。

妹を連れてタクシーで病院へ行く。
そして数日分の鎮痛剤を貰って帰宅。
やれやれである。

妹の術後の痛みは1日でひき、村へ帰る前に洋服を買いたいと言う。
妹の欲しい服は近所の店で売っているような服ではない。
彼女がいつも着ている民族衣装で、ボダナートという大きな仏塔のある観光地でしか売っていない。
私達はタクシーでボダナートへ行く。
そして色々な色の民族衣装がある店で、妹はどれを買うか迷いに迷い、
「どれがいい?」
兄である夫に聞くのだが、夫はそんなことにはまるで興味がない。
「好きなのを買えばいい。どれが好きなんだ?」
と言うだけ。
悩み迷い続けた妹は、最終的にエメラルドグリーンのドレスを購入。

洋服の次はバッグと靴も欲しいと言う。
またまたタクシーに乗り、今度はネパール庶民の買い物の場所であるアサン、インドラチョークへ行く。
バッグの店に入るが、ここでも妹は迷いに迷う。そして
「どれがいい?」
また兄である夫に聞く。
夫はというと、迷う妹にイライラしはじめていた。
「おまえは何でも遅い!もういい。帰る。」
と言い放つと、妹を私に押し付け、自分は先に帰ってしまう始末。

買い物に付き合うのはいいが、なにせ私と彼女は言葉が通じない。
私のつたない単語だけのネパール語と身振り手振りで、なんとか妹の欲しいものを聞き出し、バックと靴を購入。
そして帰りにタメル地区で2人でお茶を飲む。
タメル地区というのは各国の旅行者が集まる地区であり、ホテル・レストラン・土産物屋が軒を連ねており、独特な雰囲気が流れている。
カトマンズの庶民の場所でさえ一人で歩けない妹だからして、この地区の、特に白人の集団を見た時はかなり驚いていた。

さて、ここまで書いたら疲れてしまったので、続きは次回にしよう。
「夫の実家」なんてタイトルをつけたが、実家に着くのはまだまだ先である。



いつものように話は愛鳥ラニ君です。
しかし、今日はこれといって書くことがありません。
ラニ君は元気です。
おやつのあわ穂を食べ、おやつのクッキーも齧りつくし、イカの甲はぶっ飛ばし、
「早く出して、早く出して。」
と、さっきからせがむので、これからラニ君と遊びます。

あっ!ひとつ書くことがありました。
ラニ君は時々足を滑らし、よたついたりします。
それを見た夫はすかさずこう言います。
「インコの民族からダウンだ。」
と。

IMG_20170923_144806.jpg

IMG_20170923_144810.jpg
このようにケージの柵にへばりつくラニ君を初めて見た時は驚いたものです。
インコは嘴が発達しているので、ケージの柵をつたって移動したりします。
ラニ君の場合、かようにケージにへばりついた時は、「出して」の合図です。



















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前回、機能性胃腸症がブルーマンデー症候群に移行したと思うと書いたが、どうやら私の思い違いだったようだ。
というより、機能性胃腸症であり、ブルーマンデーでもあるのであろう。

今回はこの3連休の日曜の夜からはじまった。
この日は夕食を作るのが面倒になってしまい、自宅から1分の所にあるスーパーで弁当を買った。
揚げ物や胃に負担がかかるおかずが入っていない、小さくてうすーいウナギが数枚乗っている弁当にしたのだが、満腹になるまで食べてしまったのがいけなかったのか?
それともそれ以前から胃が弱っていたのか?
弁当を食べた後から気分が悪くなる。
同じ弁当を食べた夫(ネパール人)はなんともないので食中毒ではない。

機能性胃腸症は一度崩すと長引く。
せっかくの休みだというのに昨日は1日ダウン。
家にいながらにして薬を沢山飲んでしまい、横になっているのみ。
そして今日はというち、無理をすれば会社に行けないこともなかったのだが、「行く」という気力が湧かない。
それどころか、また薬を大量摂取して我慢に我慢をするのかと思ったらゾっとしてしまい休むことにした。
不思議なもので、会社に休みの電話を入れると少し体がらくになる。

以前より書いているが、機能性胃腸症には食べる楽しみがない。
油断して食べてしまうと苦しむ羽目になり、わかっちゃいるけどやってしまう。
困ったものだ。
一体いつまでこの病気と付き合っていかねばならんのか?


日曜の朝のことです。
この日はラニ君の2週に1度の通院日でした。

いつもであれば自転車で行くのですが、この日は朝から雨が降っていました。
ラニ君が濡れないように気をつけながら歩いて行きました。
病院までは片道40分、往復だと80分かかるのですが、まあ、運動だと思えば80分などたいしたことではありません。
しかも可愛いラニ君のためです。
労は惜しみません。

「この間は大丈夫でしたか?」
診察に入るなり先生は心配そうに仰り
「ヒヤヒヤしていましたが、大丈夫でした。」
そして、いつものようにホルモン注射と点滴を打ちました。

これも以前より書いていますが、ラニ君は病院では借りてきた猫のようにおとなしくていい子です。
診察室は電気がこうこうとついており、先生も助手の方もラニ君の病院用のケージの扉を普通に開けるのですが、ラニ君は素直に捕まります。
ところが家に帰ると全然違うのです。

以前先生に、病院から帰った後はケージに戻し、水を飲ませた方がいいと言われたので、手袋をはめ、そーっと少しづつ扉を開けるのですが、その少しの隙間からラニ君はサッと逃げるように出てしまいます。
一度出てしまうと、暗くなるまで捕まりません。
「ここではこんなにいい子ですけど、家に帰るとすごいんですよ。」
私が言うと、
「このヒトにとって家は天国なのでしょう。」
先生は笑っておられました。

さて、前回、ラニ君のチャームポイントであるハートマークが換羽(トヤ)でなくなってしまったと嘆いていた私ですが、先週水曜、ラニ君のハートマークが復活したのです。
火曜まではそんな兆しはなかったというのに、仕事を終え、帰宅してラニ君のお顔を見ると、あるではありませんか。
これには私も夫も大喜びしてしまい、最近ではラニ君のことを『ハートマークの女の子』と呼んでおります。

トヤで羽が抜けても、元々ある模様はちゃんとできるのですね。
11月でラニ君と暮らして5年になりますが、今更知った次第です。

そして最近、鼻に向かって首を振りながら嘴をこすりつけるという技をラニ君がやってくれるようになりました。
「ラニ、チュッパして。パパにチュッパして。」
夫がこう言うと、ラニ君はサーッと夫の肩に止まり、夫の鼻に首振りダンスをしながら嘴を何度もこすりつけます。
インコ流のキスなのでしょうか。
相変わらず、私より夫のことが好きなラニ君です。


IMG_20170913_230622.jpg
左下、黒のハートマークが復活しました。
まだトヤで頭はツンツンしていますけど。


IMG_20170913_230543.jpg
小首を傾げて・・・可愛いと思うのはきっと飼い主の私だけですね。



















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心配事  09/08/2017  
今の時代、手帳を持っている人がどのくらいいるのかはわからないが、私は手帳愛用者である。
ちなみに私の手帳は鳥柄である。
毎年同じシリーズの手帳を文具店で探し、文具店で扱っていない時はネットで取り寄せている。

手帳には有給休暇の日や病院の予定やら、さして重要な事は書いていないのだが、その日の体調、というか、体調のいい日は何も書かず、体調が悪い日だけを記入するようにしている。
最も体調が悪い日には★マークをつけ、どんな状態で、飲んだ薬の名前を書く。

ここ最近で★マークがついているのは8月7日であった。
ちなみに月曜日だった。
ここのところ体調のいい日が続いており、
「もしや機能性胃腸症が治ったのではないか?」
と喜んでいたのだが、今週月曜、久しぶりの★マークである。

朝、起きた時から胃がムカムカし、会社を休もうかとも思ったが、ここで休んでも、また明日ムカムカするのであろうと思い、ガスモチン(胃の薬)を口に放り込んで家を出、電車に乗ったら更にムカムカしてきたので今度はナウゼリン(吐き気止め)を口に放り込み、会社に到着。
自席についたところで胃のムカムカは止まらない。
1時間我慢したところでリーゼ(安定剤)を口に放り込む。
今までであればリーゼを飲めばよくなるのだが、この日はよくならない。
「こんなに飲んじゃ、本当はいけないのだろうなあ。」
と思いつつも我慢ができず、プリンペラン(吐き気止め)にも手を出した。

4時間耐えて、昼休みになった。
当然ながら食欲はなく、けれども何か腹に入れておいた方がよかろうと思い、コンビニで小さなパンと大根のおでんを買い、それを食べて、またガスモチン、ナウゼリン、リーゼと飲む。
「これでよくならなかったら早退しよう。」
と決意を固めていたのだが、耐えること6時間、ムカムカがおさまった。

手帳を開くと、ここ数ヵ月、★マークは月曜ばかりである。
逆に言えば月曜を乗り越えれば大丈夫なのである。
以前ブルーマンデー症候群のことを書いたが、どうやら私の機能性胃腸症は今や完全にブルーマンデー症候群に移行したように思われる。
まあ、のべつ幕なしにダラダラと吐き気が続く機能性胃腸症に比べれば、休みの翌日だけと決まっているブルーマンデーの方がマシとは言えるが、それにしても何時間も胃のムカムカに耐えながら仕事をするのは辛い。
精神科の医師に相談とも思うのだが、言われる事に予測がつく。
「半日我慢すればいいのだからいいじゃない。」
こう言うに違いない。

本当は、今回はネパールの事を書く予定であったが、それはまたこの次にしよう。
嗚呼、ブルーマンデー、なんとかならないものだろうか。
悩みの種である。


自分の体調も心配ですが、自分のこと以上に心配なのは愛鳥ラニ君です。
我が家は共働きなので、平日の日中にラニ君が何をしているのかがわかりません。
「ラニ君、ただいまー」
と帰宅して、まずすることはラニ君のケージの扉を開けることです。
以前はすぐにケージから出てきたラニ君ですが、最近はなかなかケージから出てきません。

先週のことです。
夫(ネパール人)が
「この頃、ラニ君、怒っています。」
と真顔で言うのです。
そう言われてみると、どこがどう違うと聞かれたら困ってしまうのですが、いつものラニ君と違う気もします。
夫と二人でジーっとラニ君を観察すると
「あっないなくなってちゃったよー

ラニ君は左右の頬にブルーの模様があります。
そのブルーの模様の左下に黒のハート型の模様があり
「これ、ラニ君のチャームポイントだね
私と夫はいつもこう言っていたのですが、そのハート模様がないではありませんか。
数日の間に何年間もあったチャームポイントが消えてしまったのです。
そしてラニ君のケージを見ると、羽がわっさり抜けていたのですが、これは今にはじまったことではありません。
インコには換羽(トヤ)の時期があり、何度も経験していることです。

先週の日曜日、その日はラニ君の2週に1度の通院日でした。
診察室に入ると、まずは助手の人により、ラニ君は小さなケージに移され体重を量ります。
体重の後に先生が入って来られます。
「ん?なんか元気がありませんね。」
開口一番、先生はこう仰いました。
「元気が・・・なかったんですね。実は数日前、夫と『この子が怒っている』と言っていたのですが・・・。」
「怒っているわけではありません。何度もあくびをしているので、多分吐き気があるのでしょう。」
「今、トヤのようで、わっさり羽が抜けているんですが・・・。それにハートの模様もなくなってしまったのですが・・・。」
「模様がなくなることはよくあることです。」
と先生は笑い、次に真剣な顔で
「トヤの時は体力を消耗します。普通は水分を取って自分で調整するのですが、このヒトは水分をあまり取りませんからねぇ。それに黄色のヒトは肝臓も悪くしやすいですから。今日、注射をして薬を出します。水に混ぜて下さい。様子がおかしかったらすぐに電話を下さい。」
こう言われると過保護な私は心配で心配で、仕事になんて行っている場合ではないと思ってしまうのですが、小鳥を飼っている方々みなさんはどうされているのでしょうか?

今のところラニ君は餌を食べ、おやつのあわ穂も食べ、カトルボーン(イカ)をギリギリと齧り、おやつのクッキーも齧りまくって吹っ飛ばしているので、多分元気になったのだと思いますが・・・。
ラニ君が元気がなくなる度にオロオロしてしまう私です。

IMG_20170720_115323.jpg
以前にも掲載した写真ですが、左側に黒の♥があるでしょ。

IMG_20170830_215953.jpg
♥がなくなってしまいました



















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